圧倒的な不安に、押し潰されそうになることがある。
たとえばテレビを見ているとき、たとえばこうして食器を洗っているとき。

白い泡にまみれた皿が微温湯ですすがれていく清々しい瞬間がシドは好きだが、ふと前触れもなくそんな不安に襲われることが多いのも、まさにこの瞬間だった。
常に綱渡りなのだ。
ここに居られるのは全てがマニーの好意のおかげで、ここに居られる資格なんてものは、これっぽっちも自分にはなくて。いつこの家を追い出されても文句は言えなくて、そうなったらどうやって生きればいいのかも、最早判らなくて。
不安をやり過ごすため食器の上を流れる湯に手をかざしたままの姿勢で辛抱強く静止を続ける――と、背後から伸びてきた右手が、おもむろに水道の蛇口をぎゅっとひねった。

「水を出しっぱなしにするな。勿体無いだろう」

弾かれたように振り向き、呆れ顔で自分の背後に立つマニーを、シドは瞬きして見上げる。

「あ…ご、ごめん」

向けられた眼が怯えているように、親に縋る子供のように、不安定に歪んでいた気がして、眉間に皺を寄せたマニーは気遣わしげに声を低めた。

「疲れているなら、後は私がやっておく。さっさと風呂にでも入ってこい」

脇に押し退けられそうになり、慌ててシドはマニーの腕にしがみつく。 いつもとは違うと察知されたことに少なからず動揺しつつも作った表情は、どうにかちゃんと笑顔に見えるはずだった。

「やだなー。オレが疲れてるなんて、マニーの方こそ病気なんじゃないの?」
「確かにさっきまでは見えなかった。でもな。少なくとも今は、そう見えたんだよ」
「そんなこと――……」

上手く軽口が回らない。
もごもごと口ごもりついには俯いてしまったシドに向け、マニーは少しだけ目元をほころばせた。

「いつも悪いな。こんな作業は得意じゃないからお前に任せっきりだ。改めて聞いたことはないが…ディエゴも、多分同じだろう」
「…オレは、別に。好きでやってるんだし」
「……そうか。でも今は、私に任せてくれていい。ありがとう」
「っわぁあ!?」

急に頭頂部を半ば叩くように、けれど確かに撫でられて。思わずシドは奇声を発し、マニーから勢いよく飛び退いた。

「な、なななな何だよっ!子供じゃあるまいし!!」
「怒ってるのか?なんだ、嬉しかっただろ?」

不思議そうに首を傾けたマニーに、シドは赤面したまま怒鳴り声を上げた。

「らしくないこと、すんじゃねぇっっ!」

すっかりネガティブな思慮も忘れて騒がしく階段を駆け上がっていったシドが視界から消えて、マニーは着ているセーターの袖をまくる。

(……嬉しいってのは否定しなかったな)

そんなことを、つらつらと思い出しながら。