たとえば華奢な手足。黒目がちのつぶらな瞳。理想をいうならそういったものを有する、牝鹿のような女性であって。

「マニー?」

自分の好みのタイプは、その牝鹿をとって食いそうな男などではない。ぜったいにない。
それが何故こうなったのか、ディエゴに対しての友愛が性愛に変わってしまったのは何故なのだったか、うまく思いだせなかった。

「やめてくれるか?人の顔見てため息つくの」
「え、ため息?ついてたか?」
「……なに考えてたか当ててやろうか。さっきシャンプーのCMに出てた女優。好きだろ、おまえ」

件の相手はスポーツニュースに集中しているものだと油断していた。おもわぬ方向から図星をさされてマニーは動揺する。
自身の恋愛嗜好について深く考えなおすきっかけが、何を隠そうディエゴのさすコマーシャル女優だったのだ。

「う、ううん?考えてたのはあの子のことじゃ、うああぁいいや、じゃなくてそう、可愛い子だと思ってた!って、そんなの話したことないよな?」
「ああ。べつに聞いたことはない」

マニーは首をひねった。好きだといってもこれといったファン行為をしているのでもない。何かしらの媒体でときどき見かける。清楚な雰囲気がいいな、可愛いな、と思う。あくまでその程度なのだ。

「よく分かったな?」
「おまえを見てりゃ分かるよ。そのくらい」
「そんなもんか?私は分からないぞ?おまえの好きな女性タレントなんて」
「それはな、おまえは俺を見てないからだ」

そんなことないと意見したいところだが、こう明確な判断基準をつきつけられた直後では堂々と否定もできなかった。

「なんか気にさわる言い方だな……。それならおまえの好きなタレント、私も当ててやる」
「そうか。じゃあ、一ヶ月で当てられたらご褒美な」
「一ヶ月も?ずいぶんやさしいんだな。よーし見てろよ!」

勝負事にされたことで俄然やる気になり、宣戦布告する。ディエゴはなんとも微妙な、苦笑いらしきものをつくっていた。

その翌日からテレビをみるディエゴの様子をみる、という珍妙な習慣がマニーにできた。与えられた期間は十分長いと感じたのだが、生活サイクルにずれがあるため観察のチャンスは存外すくない。たまの機会が到来しても、画面にむくディエゴはいつも関心薄いようだった。
チャンネル権が多くのケースでシドにあるせいかもしれないと仮定し、リモコンをディエゴの定位置に寄せておいてみたりと策を講じてみても成果はなく、マニーは焦り始めていた。
ディエゴに言われたことを否定するつもりが、このままでは逆効果だ。

「どうだマニー。目星くらいはついたのか?」

テレビ画面には何組ものアイドルグループ。意外にこういう路線が好みなのではないか探りをいれているのだが、彼女らのヒット曲メドレー真っ最中でこちらへ話をふってくるあたり、これもはずれであるらしい。

「まっ、まあな。だいたい。しぼれてきてるぞ」

さっぱり検討もつかないからヒントがほしい状況だが、それを求めるのは完敗宣言に等しい。虚勢で返せばディエゴは片目を細くした。

「へえ」

むしろ、実際どうやって好きな女優なんかを言い当てられたか教えてほしいくらいだった。



きっかり一ヶ月後、答えあわせの夜はあっという間にやってきた。
ディエゴの帰宅を待ち、帰宅したディエゴが夜食をとり終えるのを待ち。ようやくマニーもダイニングチェアを引いて、ディエゴの対面に腰をすえる。

「ディエゴ、ひと月前の話なんだけどな」
「ひと月前?……ああ。それ話したくて待ってたのか。なんだ」

がっかりされた様子につっこむ余力はなし。今夜は和気あいあいと二人の時間を過ごす心づもりじゃないのだ。冷めてしまったコーヒーの残りを飲み干して、気合を入れなおす。

「おまえさ。もしかして、本当は女に興味がないのか?」
「はあ!?」

ディエゴは仰天しているし、マニーとしても歓迎したくない推理ではあった。しかしそれが一ヶ月間の観察からみちびき出された結論なのだから仕方ない。

「なぁ。俺に元々そっちのケはない。はじめに言っただろ?それを疑ってたのかよ?」
「おまえがストレートだっていう話を疑ったことなんてなかった。私もそうだからな」

立腹されてもひるまなかった。それなりの根拠があって話しているのだ。

「でもディエゴ。どんな女の子見ても可愛いなとか、美人だなとか、ろくに感じてないだろう。この一ヶ月で一番楽しんで観てたの、格闘技番組だったよな!?」

趣味のすくないこの男らしく、大部分は暇つぶし。惰性でながめているだけ。これは間違えていない自信がある。

「おまえの好みって実はマッチョな男だったのか!?私も体きたえたほうがいいのか!?」
「な、違うっての!冷静になれよマニー!」
「私は冷静に考えた!」

がなりあい、互いに肩で息をついた。
なんて無益な口争いなのか。おぼえた徒労感も二人共通のようだった。

「……やめようぜ。悪かった。無駄なことさせちまったな」

先に謝られ、マニーはまごつく。これでよけいな疑惑が晴れるわけでもない。欲しいのは謝罪より釈明なのだ。

「無駄なこと……あれか。この一ヶ月でその好きな芸能人、テレビで見なかったのか?なら今回のはノーカウントだからな」

ディエゴは首をすくめた。

「いや。おまえはニアピン賞。つうかほぼ正解だ。俺な、とくにいないんだよ。好きな女タレントなんて」
「はあ?なんだ?それ?」

不信や呆れや疑問が、入れかわり立ちかわり頭に浮かんでは消えていく。
釈然としないことだらけだ。

「どういうことだよ?本当に女には興味がわかないのか?そういうカミングアウトなのか?」
「違う!はっきり説明したくないんだけどな……これがご褒美がわりでいいか?」
「なんでもいいよ。褒美なんて言われたのも忘れてた。早く説明しろ」
「怒ったり笑ったり、するなよ」
「約束はできないが努力する」

せめてもの誠意で言ってやった。ディエゴは瞳だけでうつむき、しぶしぶ声をひきずり出す。

「…………おまえの気をな。引こうとした」
「ディエゴ?分かるように、説明をしろよ?」
「分からないか?好きだ好きだ、っておまえの目はな。すげえ分かりやすいんだよ。ああいうのが熱視線ってやつなんだろうな。おまえがそういう目でほかのやつを見てるのが、俺は面白くなかったんだ」

とつとつと話すディエゴはきまりわるそうだ。無理はない。しかし聞いているマニーも相当にきまりわるい。
こちらの好きな女優なんてものがどうして知られていたのか、疑問はとけたが、他人への好意が外からまる分かりだったなんていうのは受け入れたくもない答えだった。
それを面白くないと言われたって、自覚がなかったのだから改善できる自信だってない。

「納得いかない。テレビの中の芸能人だぞ?なにをバカな」
「俺だって、んな本気じゃなくて!ちょっとした遊びのつもりだったんだよ!それをおまえが変なほうに!」
「おい!私のせいにする気か!?」

はあ、とまた互いに肩で息をつく。

「……くそ。アホくさい」
「まったくだな」

正直に同意して席を立った。これ以上顔をつき合わせていたらよけいなことを口にしてしまう予感がある。

「待てよマニー」

足早に居間を出た。笑わなかったし、怒っているのでもない。一人になって頭を冷やさなければ。

「マニー!待て!」

呼び声の近さに驚いて、階段にかけようとした足をとめた。
ディエゴが追ってくるとは思っていなかった。それは何故かって、追ってきてほしくなかったからだ。ディエゴなら望む通りにしてくれるだろう、都合よくそんな期待をしていたから。
助けてほしいとき手を貸してくれる、一人でいたいときは距離をおいてくれる、つらくてたまらないときは傍らにいてくれる。ずっと前からディエゴはそういうやつだからだ。

「――あのとき、あのコマーシャルを見て、考えてたのはおまえのことだった」

気づけば壁に追いつめられているのだが、気持ちは余分に波立たなかった。ディエゴのほうがどことなく切羽詰まった表情をしている。

「俺のこと?」
「可愛いなとか、守ってやりたいとか、そうやって思うのはああいう女の子に対してだったのにな。おまえが好きだし、おまえ相手にどきどきする。不思議だったんだ」

このひと月、暇さえあればじいと凝視していたせいだ。ディエゴがなにかの拍子にこちらを見れば、ごく自然に視線が交わる。そんな瞬間が幾度もあって、それを好ましく感じるようになっていた。ディエゴをもっと見ていようと。
動機や結果がめちゃくちゃでも、この機会を無駄だったなどとは思わない。

「認めてやるよ。おまえは私を見てくれてる。だからだ。だから、私はおまえが好きらしい」

これはよけいな、こんなふうに伝える必要のないことだと知ってはいるのだが。
ディエゴは今だってちゃんとこちらを見ていた。ばつが悪そうな顔をして。

「マニー……不意討ちでそういう殺し文句、言うか……?」

それを聞き、発言をふりかえってしまったのはまずかった。
偽りなしに精いっぱい、愛を語ったつもりでいた。しかし言うに事欠いて「どきどき」とは。ひどく幼稚な、芸のない表現だったとマニー自身思う。穴があったら埋まりたくなってきた。

「おい?今になって照れんなよ。そもそも、ややこしく考えすぎだ。おまえだってその可愛い子に抱かれたいとは考えないだろ?それが俺に惚れてるってことだろ」
「お、おまえだって、私に惚れ……から、画面の中の人間に対抗心を……!いや、元々おまえに抱かれたいなんて考えなかった!そこは妥協してやったんだろうが!?」
「妥協なあ」

首を鳴らすディエゴはマニーの言い分を完全に聞き流していた。たしかに回数を重ねておいて、役割分担に妥協もなにもあったものではないのだった。

「く……もう寝る」
「寝る?どういう意味で」
「そのまんまの意味で!おまえも早く風呂入って寝ろ」

おやすみ!とぶっきらぼうに、しかし律儀に残していくマニーをディエゴはもう引きとめずにおいた。
今夜はマニーの言いつけ通りゆっくり休もう。いくらでも繕える言葉なんて信用していなかったはずが、あんな台詞ひとつで浮かれている自分。単純になったもんだと笑ってやりながら。