天下太平の大らかさ。
対極に立つ几帳面で繊細な人間に言わせればそれは、ただのいいかげんな大雑把さにすぎない。
こんなに狭量だったか彼自身驚いたものだが、「生理的に受け付けない」とはこのためにある常套語なのだと納得した。端的に言ってしまえばマニーはバックが大嫌いだ。

「うちは禁煙だ」

当然のごとく取り出されたパッケージを見逃さず言ってやると、隻眼がぎょろり丸くなる。

「またまた。ディエゴは吸ってんだろ?」

たしかに。けれどディエゴはリビングで喫煙をしない。大抵は自室内か隣接するベランダで、換気に配慮して煙を吐く。家主としてマニーが要求したのではなく、自主的にそうしていることに、あるとき気づいた。
不言実行。ディエゴのそういうところが信頼に足る。

「なら言い直す。うちは、あんたに限り、禁煙だ」

詳しい事情を話してやるつもりなど毛頭なかった。話したら最後、ならベランダで吸えばいいんだな、などと斜め上の解釈をして二階にあがって行きかねない。
ヤニが欲しけりゃさっさと出てけ。
そんな毒気をふんだんに込めたつもりが、ソファに陣取るバックは朗笑する。

「俺だけ特別扱いか?なんだよ、照れるじゃねえか」
「いいから早く肺ガンにでもなってくたばってくれ」
「心配すんな、内臓は丈夫だ」
「いつ私があんたの心配をした。まぁ、悪いとしたら脳だろうな」
「ストーップ!はい、そこまで!胃が痛くなってきたんでストップ!そのくらいにしよう!」

噛みあっているんだかいないんだか分からない応酬に割り込んだシドがローテーブルにカップを置き、正面からマニーの体をぐいぐい押した。

「…そんなデリケートじゃないだろ?お前」

降るまなざしは不満げだが、打って変わって刺々しさは帯びていない。シドは眉を八の字にした。デリケートじゃなくたって胃腸くらい痛くなる。こうまでいらいらぴりぴり、にこりともせず発言するのを近くで聞いていれば。バックから切り離したおかげで多少雰囲気が和みかけたが、それも瞬く間であった。

「冷たいほうがよかったなぁ。氷あるー?」

のんきに訊ね、ずずず、とコーヒーをすする音。意図せずこうまで他人の神経を逆撫でできるとは。一種の才能か芸術に近い。マニーのこめかみの血管、そろそろ切れるんじゃないかな。シドは危ぶむ。

「それよりバック!土産だけどな、見てもいいのか」

放置されていたビニール袋を持ち上げたディエゴへ注意が逸れた。ナイスアシストだ。いいものを持って来たと、バックが意気揚々に家を訪ねてきたのが今回の発端なのだった。

「そうだ忘れてた。おう、見てみろ見てみろ」

許可を得てさっそく取り出された袋の中身を、嫌々ながらのマニーも共に三人で取り囲む。入っていたのはプラスチック製の密閉容器。さらにその蓋を開け、つめられていた中指ほどのものを、代表してシドがつまみ上げた。

「なにこれ?」

様子からして食べ物らしい。香辛料らしき匂いもある。白茶けた色やごつごつした質感や、先端が三、四またに分かれている見た目は、どこか木の枝のような、漢方薬に使う人参のような。

「それなぁ。鳥の脚」
「とり?あし?……ぎゃあぁっ!!」

正体の発覚した物体をシドは放り投げた。
一口に鳥のあしと言っても人間であれば脚ではなく足。モモ肉などとはわけが違う部位である。よくよく見れば節くれだつ指の先に、小さな爪までついていた。

「おい、捨てるなよもったいねえ」

腕を伸ばして拾った鳥足にふっふと息を吹きかけ、バックは平気でそれをかじる。聞こえよく表現すればワイルド、しなければ何ともがさつな所作だ。

「これが、いいもの……。頭だけじゃ飽き足らず舌までいかれてるなんて救いようがないな…あんたがおかしいのはよく知ってるが、他人も同じだと思わない方がいいぞ?ゲテモノ好きは女の趣味くらいにしておけよ」

グロテスクな手土産登場により不機嫌で済む限度を越えたらしく、マニーの目は蔑みのそれになっている。

「こら、せめて珍味と言いやがれ。うまいんだぞ?食い物も女も外見だけじゃあ良さは…」
「バック。その話はまたおいおい聞くから。な」
「いや〜けど、それはオイラも遠慮しとくわ。きもい。ぐろい。えぐい」

ディエゴに所説を止められシドにしりごみされ、バックは初めて残念そうにむくれた。年齢にそぐわぬ子供っぽい表情も、この人柄にはよく似合う。

「なんだよ、せっかくお前らに食わせてやろうってのに」
「頼んだ覚えはない。ほら、うちでは処理しかねるから持って帰れ。二度と戻るな」

野良犬でも追い払うように手を払ったマニーの横で、シドが悲鳴じみた声を放った。

「ああ。うまい」

ディエゴが味見し、感嘆し得るものは、現在この場にただ一つ。

「だろ!?」

我が意を得たりと身を乗り出したのはバックのみ。
他ふたりは目口をぽかんと開けて、もぐもぐと鳥足を咀嚼し続けるディエゴを眺める。

「お前は話がわかるな。今度ダチョウでも食いに行くか?」
「ダチョウ!?」
「いや、それは卵も肉も食ったことある」
「あるのかよ!」
「じゃあカンガルーか?ワニでもいいな」
「ワニも食った。から揚げがうまいよな」

予期せず弾み出した肉食談義にすっかり置いてけぼりをくらい、やおらシドがマニーの袖を引いた。

「マニー。そういやブロッコリー茹でてあるんだけどさ。食う?」
「…ああ」
「……マヨネーズつけるとうまいよねぇ」

ときどきディエゴがよくわからない。
お互い、気の抜けた視線で言い合った。