女王がごとく三人がけソファの真ん中に鎮座まします幼なじみの姿。見るなりシドは回れ右をしかけたが、一度顔を合わせてしまったからには首根っこを捕まれたも同然だ。

「あら、どこ行くつもり?シドニー」

彼女だけが使う自分の愛称。その一言で動けなくなった。

「う、ぇへへ、仕事場に忘れ物したの思い出してさ?うん。困ったなー急いで取りに行かなきゃー」
「そ。取りに行くのは明日にしなさい」
「……。ハイ」

シルビアに拒否権を与えてもらったためしは無い。蚊の鳴くような返事を聞き、彼女は頷く。

「シルビア、マニーとディエゴは?」
「その前にお茶が飲みたいわ。ミルクティーにしてちょうだい」
「紅茶はティーパックしかないよこの家」
「構わないけど。ミルクは」
「あっためてからたっぷり入れまーす」

熟知した、もとい熟知させられた好み。注文を引き取り、シドはそそくさ準備にかかった。家に紅茶党がいないので久しぶりの作業だ。ケトルを火にかけ戸棚をあさり、お茶請けにビスケットを用意する。手持ち無沙汰に組んだ脚をぶらつかせるシルビアに、慌しく手を動かしながら再び訊ねた。

「なぁシルビア!マニーとディエゴは?家にいたよな?」
「ええ。いたわね」

すげない返事だがシドにはそれで充分だった。
もしも自分の不在時、幼なじみが来襲してきた際は裏で連絡をくれるよう、彼らには常々頼みこんでいたのである。二人もそれは承知してくれていたはずだ。

「裏切り者……」

マニーもディエゴもシルビアが苦手。しかしだからこそ自分を置いてこの家を離れた彼らが恨めしい。シドに比べれば怖いものなしに近いあの二人を、これだけビビらせる幼なじみも相当なものだが。

「そうだ、二人から伝言があったんだわ」
「え、なんて!?」

よほど手持ち無沙汰なのか他に理由があるのか、手鏡を覗いてシルビアはわざわざ化粧を直している。伝言については関心薄そうに見受けられた。

「マニーは『ごめん』。ディエゴは『許せ』ですって。何のこと?」

こんちくしょうと叫ぶのは堪えた。かろうじて。

「…………さぁ。オレにはさーっぱり。…粗茶ですが」

ため息まじりに差し出したカップを、嬉しそうに受け取られた。

「あなたが淹れたお茶、飲みたかったのよね」
「べつに特別な淹れ方はしてないけどね」

横に座れと促される前に向かいへ座って、シドはビスケットをぼりぼりかじった。沈黙が流れる。
一心に紅茶を飲んでいる彼女が何か言いたそうにしているのは判るが、できることなら耳にしたくなかった。

「ねぇ、シド。あたしの所に来てもいいのよ」

シドの願い虚しく、沈黙を破ったのはシルビアだった。いつものこと。
こうしていつも彼女はシドを引っぱろうと、どこかへ引っぱり上げようとする。決して嫌いなのではない、好いてくれるのはありがたい。けれど彼女を選ぶことは無いと決めている、それなのに。
ほんの少し、胸が痛む。

「おじさんたちからは何の音沙汰もないんでしょ?あたし――」

シルビアは天才的に化粧が上手いのだとか、伏せられた二重まぶたも実は一重なのだとか。
いろんなことを知りすぎているし、知られすぎている。依存したくないし、されたくもない。シドにとってはどれも苦痛だ。

「べつに、行くとこ無いからここにいるんじゃないよ」

言葉は意図ほど冷たく響かなかった。
怒り狂うんじゃないかと危惧したシルビアの白い指が、平然と皿の上からビスケットをつまんでいく。その挙動を、シドは怯えて見守っていた。

「…居心地よさそうだものね。ここ」

さも当然とばかり、素直な声色。

「意外なくらい優しいものね。あの二人。かなり渋ってたのよ?あなたを置いて出かけるの。やっと頼みこんだんだから」

両目を真ん丸にするシドをまっすぐ見返し、吐息だけでシルビアは笑う。

「ねぇシドニー。あたしは、いらない?」

弱々しくはない、自虐的でもない、彼女らしいしたたかな光がエメラルドグリーンの双眸に灯って、消えた。否定を期待したものではない質問だと判るから、困りはしなかった。

「オレの幼なじみは、シルビアだけだろ」

答えではなくただ、揺らぎようのない事実。それ以下にはならず、それ以上にもなりたくないのだと。彼女が納得してくれる日はいつだろう。

「…ほ、ほら。ピクニックぐらいなら付き合うからさ?昔みたく。サンドイッチとか作るよ」

うつむいたシルビアが泣き出してしまうんじゃないか、恐怖からついそんな誘いが口をつく。依存したりされたりも苦手だが、泣かせてしまうのも本意じゃない。

「やだ!シドニー!!それってデートしようってこと!?」

ぱっと上向いた彼女の頬は、したたかなばら色に染まって。もちろん泣き濡れてなどいなかった。

「へ!?ち、違う!ただのピクニック!」

訂正になどまるで耳を貸さず、感極まったシルビアはわざわざテーブルを回って抱きつこうとしてくる。焦ってソファから立ち上がるシドを、愛しげに彼女は見やった。

「うふふ、もう。照れちゃって。サンドイッチ楽しみにしてるわ。チーズを入れてね?マスタードは」
「…粒のやつ、ね」

熟知した、もといさせられた好み。ご満悦のシルビアは頷く。
もうちょっと押しが弱くてすっぴんを知らなくて幼なじみじゃなかったらストライクなんだけどなぁ。彼女の腕の中で、シドはげっそり涙を呑んだ。