「ダーツかビリヤードでもやるか?」

下りエスカレーターの、私から見て一段上。肩を落とすシドの様子にたまりかね、そんなふうに提案する。

「ダーツかビリヤード?やったことないもん」
「教えてやるよ」
「教え……。ううん。やだ。ダメなんだよ教えてもらうんじゃあ!ボウリングならマニーたちにも勝てると思ったんだからさー!」

地団駄踏むシドも、さらにその二段上に立つディエゴも乗り気じゃないらしい。
がっかりしているようだから気を使ってやっただけで、特に私がやりたいわけでもなかった。むしろ早く家に帰りたい。がらじゃないのだ。いわゆる夜遊びというやつは。

週末の遅い夕食後。そのタイミングのせいだろう。シドの提案を受け、近間のボウリング場に付き合ってきたまではよかった。しかしいざ着いてみればレーンには空きがなく、客が何組も順番待ちしている状況で。
結局今夜はあきらめることになり、シドは言わずもがな、どうもディエゴまで意気消沈しているようだ。

(……やりたかったんだな、ボウリング)

どうにかしてやりたいとも思うが、ダーツかビリヤード以外に代案の持ち合わせもない。気詰まりを感じながらエスカレーターを降り、出口に向かって薄暗いフロアを歩いて行く。案内表示によれば一階はアミューズメントコーナーで、ところ狭しと並ぶゲームをきょろきょろ見回していたシドはふと、ぬいぐるみの押しつめられた機械の前で立ち止まった。

「どうした?」
「ねぇ、これ取りたい。ピンクが欲しいな」

透明なプラスチックの向こう側に座っているのは色とりどりのクマ。大きさは赤ん坊ほどもある。また部屋に邪魔なガラクタを増やすつもりだろうか。口を出しかけたが、やめておいた。これで満足するのならば好きにさせてやるべきだろう。

「ピンクは無理だろ」

ケースを覗き込んだディエゴは冷静に言う。その通り、開口部近くに置かれているクマは青に白に赤。所望のピンク色はアームの届かない位置にディスプレイされているのみで、取れそうにない。しかしシドはこともなげに首を振る。

「だめだなぁ二人とも。こういうときは店のひとに頼むんだよ」
「店のひと?」
「そ。…あのーっ、おねーさーん!」
「お、おい?」
「みっともないことすんなよ……」
「みっともなくないよ。普通のことだよ。嫌ならマニーたちは他のとこ行ってれば?あとで適当に集合ね」

シドが勝手に話を進める間にも従業員女性はこっちに寄ってくる。私とディエゴは逃げるようにその場から散開した。


夜遊びというやつはがらじゃなく、こういうやかましい場所は好きじゃない。学生のころは友達に付き合わされたりもしたがその時分からそれほど楽しいとは感じていなかったので、これは生来の嗜好なのだと思う。
やりたいことも見たいものも無いため、フロアの片隅に見つけたベンチでようやく腰を落ち着かせた。脇に用意された灰皿からしてここは喫煙スペースのようだが、悠長に座っている人間は私ひとりだ。そばの自販機で買ったコーヒーをひとくち飲むたび溜め息がこぼれそうになる。

(こんな時間に。もっと他に行く場所ないのか……?)

さっきのボウリング場は団体客が多かったが、一階を行き交うのは若いカップルの二人組みが目立つ。男はまだしも女の子はこんな所で楽しいのか?疑問を覚えたが少なくとも遠目には、皆がとても幸福そうに映った。ほろ苦いような、うす甘いような感情がこみ上げてきて、その重みに押されるように足元を向く。
私が夜間に彼女を連れ出すとしたら、目的はたいていレイトショーかナイトショーだった。いろいろな映画を観た。ホラー以外なら大丈夫だと言われていたが、観るものはいつも慎重に決めた。ラブストーリーだとかファンタジーだとかばかりを選んでいたのに、あるときに観たSFものが一番好感触だったよな――。
思い出せば幸せな気持ちもよみがえる。以前は違った。思い出を辿ると後悔ばかりがわき立つようで、苦しかった。 子供が産まれてからは一度も劇場へ連れ出せなかったのが心残りではあるが、それに囚われすぎることなく追想に浸れるようになったのはきっとあいつらのおかげで、

「マニー」

とつぜん肩を叩かれ、それはもうひどく驚いた。ベンチをひっくり返しかけ、持っていた缶を派手に取り落としたくらい。中を空にしてあったのが幸いだ。

「おおおおっ、おどろかすなよディエゴ!」
「わ、悪い…。俺はお前の驚きかたに驚いたけどな……」

戸惑い顔のディエゴが転がった空き缶を拾い、それをくずかごに向けて放り投げる。きれいな放物線の先で、がらんと金属同士のぶつかる音がした。

「なぁマニー、ちょっと付き合えよ」
「え?何に?」
「行きゃわかる」

こっちの意志確認も無しにどこかへ向かおうとする背中。らしからぬ勝手な行動に、慌てて私はその後を追った。

「――あれ。やろうぜ」

フロアを横切り、ある一角でディエゴが指したのはエアホッケーだった。ちょうど先客のカップル二組が台から離れていくところだ。

「あー…定番だな」

四人でのプレーを想定した作りになっているらしく、台の面積はずいぶん広い。やるのかこれを。男二人で。

「ゴールを小さくできるんだぞ、ほら。その方がいいよな、簡単に点が入るんじゃ面白くねえし」

ゲーム台の説明書きによれば、二対一で対戦する場合のハンデに使用を勧めている機能だが、まぁどう使おうが自由だろう。それより気になるのは、双方のゴール幅を調整するディエゴ。明らかにうきうきと楽しそうに見える。ボウリングといいもしかして好きなのか。こういうの。

「で、マニー。ただやっても面白くないだろ?」

いやお前は十分面白そうだぞ。
すごく言いたかった。とりあえずやめておいた。これで満足するのならば、好きにさせてやるべきだろう。

「面白くないこともないが…どうしたいんだ」
「来週の食器洗い、負けた方は相手のぶんも」
「当番の交代?って、子供かよ」
「俺は大人らしいもん賭けてもいいぜ?」
「…金か?う、ううん……」

家事担当の交代も大概だ。しかしそういう賭け事は好かない。渋っていると、ディエゴはちらと首をすくめる。

「嫌がると思った。じゃあ食器洗いに風呂掃除も追加でどうだ?それとも、負けそうで怖いのか?」
「……誰に言ってるんだ?よし、それでいい。やるからには手加減しないからな」

返された笑みを見るに、思惑通りに乗せられてしまったらしいが構うまい。売られたケンカは買う主義なのだ。
こんな夜もたまには悪くないだろう。

*  *  *  *

ボウリングができなかった憂さもあり、つい時間がかかってしまった。両手にぬいぐるみやスナック菓子の大袋が入ったビニール袋をぶら下げ、シドはきょろきょろ連れを探す。広いフロアを歩き回っていると、なにやら遠巻きに人の集まっている一角を見つけた。

「あれ?」

とてつもなく嫌な予感。あまり発達しているとはいえない第六感が警鐘を鳴らす。

(ま、まさか……)

他人の背に隠れてうかがった、輪の中心。嫌な予感は的中だった。

「……マニー、ディエゴ…な、なにやってんの……」

二人が行っているのはエアホッケーだ。遊戯施設にはしばしば置いてあるゲーム機で、その光景はさして珍しくもないごく普通のものであるはずだ。普通じゃないのはプレイヤーの雰囲気だった。かもし出されているそれが、楽しい遊戯にふさわしいものとはまるで違う。
要するに。行われているのは遊びではなくお互いが勝ちを譲らぬ真剣勝負なのである。周囲が感嘆し、半ば引いてしまうほどの。

「っらぁ!」

この手のゲームなら分があるのはディエゴだろう、あの動体視力は大したものだ(かけ声がマジすぎて超こわいのはこの際置いておく)どういう角度で外枠に当てればゴールに入るかをすでに把握しているらしく、絶妙な軌道でパックを打ちこみ、かと思えば攻撃をワンパターンにしないためだろう、手元で一度パックの動きを止めてみたりと、素人とは思えない工夫が見て取れる。

「く……!」

対するマニーはただでさえ目が弱い。加えてこの不十分な照明の下だ、防戦一方で、このまま点差を詰められないまま勝敗は決するか――と思われたが。
パックが外壁に当たるごとに逐一鳴らされる電子音や、実際の衝突音。瞬間、それらの一切がやんだ。次に響いたのはゴールに吸いこまれたパックが落下する、かわいた音。

「……な」

文字通り、目にも留まらぬ速さだった。小細工なしのど真ん中ストレート。それでも反応が間に合わず防ぎきれなかったディエゴは驚きを顔に浮かべ、けれどすぐに嬉しげに笑った。

「やるな」
「ああ。やっぱり、変化球は性に合わない。ここからだからな」

応えたマニーも不敵に微笑む。

(エアホッケーであんなフルスイングする人初めて見たよ…なんで深夜のゲーセンで爽やかな汗をかいてるんだよ二人とも……)

あの負けず嫌いたちに関わったが最後、あまりいいことはなさそうだ。勝負がつくまで他人のふりをするに限ると判断し、そろりそろり後退する。しかしそう上手く立ち回れないのがシドである。

「あ、シド!」
「ひぃっ!?」

場を離れる前に見つかった。飛び上がったシドへ遠巻きのギャラリーの視線も移ったのだが、マニーもディエゴもまるで人目を気にしていない。そもそも注目を浴びていることに気づいていない。

「どこ行くんだよお前?」
「うぁえへへ、えーと」
「なあ、これ。時計持っててくれ」
「は?はいっ」
「これもな」
「はいはいっ」

袖をまくったマニーから腕時計を受け取り、ディエゴからは上に重ね着していたシャツを放り投げられ、ビニール袋二つをぶら下げていたシドの両手は完全に容量オーバーだ。

「……楽しんでるのはいいけどさ」

あの二人に勝負事を持ちかけるのはよしたほうがいいのかもしれない。ボウリングができなくて本当によかった。新たな自戒を胸に刻み、シドは高い天井を仰いだ。