うとうと、横でマニーが船をこぎ出した。冷房が効いたバスの車内はアルコールの入った体にちょうどいいが、自分を抱くように腕を組んでいる様子からすると寒がりには少々辛いのかもしれない。
乗客は最後尾に座るディエゴたちの他は出たり入ったり、三人ほどで保たれている。

(もっと近場で済ませるんだったな)

家に最寄の停留所まではまだしばらくかかる。本格的に寝入ってしまいつつある左隣を横目に脚を組みかえ、ディエゴは右隣へ位置する窓枠を使って頬杖をついた。

目が合ったとたんに待ち合わせ場所の入り口とは別方向へ歩いて行ったマニー。不自然な行動のわけが判らずコーヒーグラスの片付けもそこそこに急いで後を追い、ようやく捕まえて理由を訊けばしどろもどろ、バスに乗ろうとしたのだと言う。近所の店ばかりでは面白くないからたまには遠出をしよう、と。
たまたますぐ側にあったバス停を見て考えついた嘘であることは明白だったが、せっかくの食事前に機嫌を損ねてもつまらない。あまり追求はしないでおいた。
帰りの時間を気にしなければならないのは多少窮屈だったけれど、適当に下車して適当に入った店は幸い当たりだった。未知のメニューは新鮮で味よく、たぶんお互い、とても心楽しかった。

――未知の楽しさ、といえば。酒を覚えたのは大昔のことだがそれを共にして楽しい相手をディエゴが覚えたのは、つい最近のことだ。
これまで付き合いのあった人間はアルコールに逃避を求める者が多く、サシで飲むなどとんでもなかった。悪酔いする男やそれに媚び売る女たち。やりとりを眺めるだけでもうんざりした、自分が相手をするのは尚のこと。かといってその手の飲み方をしない人種――ソトやオスカーはそうだった――には気を許せない。楽しくもないが何より一人が気楽だと強く思っていた。

(それに比べりゃマニーは)

この上なくいい酔い方をする。ディエゴはいつも、何度だってそう感じる。
ほどよく酒が入ると親しいものにだけ判る程度でマニーは饒舌になり、よく笑うようになる。ときおり肩を揺らして、声を上げて。不在時に起こったシドの失敗談などを話してやれば本当に愉快そうにそれを聞く。
ディエゴは窓外の景色を映していた両目を閉じ、和らいだその声色を思い出す。

(もったいないよな)

見慣れたしかめ面では気づきにくいがマニーの面立ちは元々優しげである。
真顔でいるだけで他人に怯えられたりケンカを売られたりの経験には事欠かないディエゴには、羨ましいくらいだ。だからこそ額から力をぬいて赤らんだ目じりをゆるりとほどく、いつもそうして笑っていれば、もっと印象良いはずなのに。

(…まぁ、いつもの顔も嫌いじゃねえが)

今さら普段からにこにこされたら調子が狂うかもしれない。想像すればするほどそうとしか思えず、ディエゴは知らず苦笑した。
停車と発進をくり返すバスがゆるやかにカーブを右折する。と、カーブと同じゆるやかさを伴い曲がった方とは逆の肩へ、人の重みがかけられた。

(あ?)

どきりとして頭を動かせば、柔いくせっ毛が耳元を撫でる。まぶたを閉ざすマニーの顔が、緊張するほど間近にあった。眠りに浸った表情に棘はない。上下が重なっているせいか薄暗い車内にあるせいか、まつ毛がやけに色濃く見える。
考えた通りやはり寒いのだろう。まるでディエゴの体温をねだるかのように、触れ合った体側が擦り寄せられた。

(……!!?)

無意識ゆえの無防備な愛撫。すりと頬ずりするような動きに、預けられたぬくもりに、気持ちはこうも容易くかき乱される。

「…冗談だろ……」

乗り込んでくる乗客に顔を見られないようディエゴはうつむく。下車まであと停留所三つ分。火酒を煽ったかのような頬の熱さは、それまでに冷まさなければならないようだ。