――どう見ても、せいぜいがくたびれたビジネスマンだよな。
車窓に映る自分を努めて客観的に判じた結果である。扉脇の手すりにつかまりながら、マニーはひっそり肩を落とした。

できるだけ夕飯は一緒に食べようよ、と提案した家事主担当にマニーもディエゴも異論は無かった。しかしその提案者自身もそれなりに忙しかったり人付き合いがあったりするわけで、彼が抜けた場合の二人は外で食事をとることが多い。両人が料理を得手としないだけでなく、酒を飲むにはシドがいない場所での方が都合いいためだ。

次が下車駅であることを告げる車内アナウンス。マニーは手すりをはなして鞄を持ちかえ、ネクタイの結び目を正した。同僚からは暑くないかと驚かれる、今だって周囲に見える男性はほとんどノーネクタイであるのだが、どうも首元をあけていると落ち着かない。布地と共に気持ちが引きしまるような感覚も、マニーの好むところだった。
腕時計を見れば約束の時間五分前。ディエゴはきっともう待ち合わせ場所にいるだろう。このご時勢では貴重になりつつある、全席喫煙可のコーヒーショップ。駅前だけあり夕方は特に盛況だ。奥まったテーブル席などには着きたくないようでその店の自動ドア横、道沿いのガラス窓に面したカウンタースツールの端を、ディエゴはすっかり定位置にしている。
そのカウンターには椅子が四脚並んでいるが店内が混みあっているいないに関わらずディエゴの隣や更にその隣には、まず他人は座ってこない。混雑時、常ならば四脚のうちニ、三脚はスツールが埋まっているケースが多いのだと、店の前を毎日のように通るマニーは知っていた。

電車が止まった。押し出されるようホームへ降りたとたん、なまぬるく乾いた風が髪を揺らす。

(あいつは一見、近寄りがたいから)

あらゆる意味で、だ。切れ長の双眸は何の気なく流し見るだけでガンをつけているような風情になりがちなのである。並んで歩いていると時たまあからさまに老婦人が怯んで道をあけたり、逆にガラの悪そうな男に剣呑な視線を送られたり、厄介なことこの上ない。本人はどこ吹く風とばかりの様子であるけれど。

(…まぁ、目つきをマイナスとしてもディエゴは)

…二枚目だよな。
すとんと考えてしまって、ひとり何だか気恥ずかしくなる。いや違う、マニーとしてはこれも努めて客観的に判じた結果のつもりだった。
客観的に見て鼻すじが通っているし、客観的に見て顎のラインがシャープであるし、客観的に見てディエゴの顔立ちは整っている。加えてマニーほどでないにしろ充分な長躯はほどよく鍛えられて均整を保っている。腰骨の位置が自分と身長差ほど開きが無いのに気づいた際は、こっそり傷ついたりもした。
そんな男が窓際で長い足を組み気だるげに煙草を吸っているのだから、絵にならないはずがない。
横に座りがたい空気はむしろプラス面の原因からも、醸し出されているのである。

マニーは早足で改札を抜けながら想像する。駅前広場から道路を挟んだはす向かい、ビルの一角にあるカフェの、やわらかなオレンジ色の照明。この季節だからディエゴがオーダーするのはアイスコーヒーだろう、これから飲みに行くのだから、サイズはショートだ。それでもおそらく中身は半分ほどしか減っていない。

(まず……。どう、声をかけようか)

改めてそんなことまでを思ってしまい、急に革靴が重くなった。よう、とかやあ?…違うな。待たせてごめん?いや、時間にはぴったりだ。
改めて意識すると混乱する。妙なことを延々考えていたせいかもしれない。胸に湧き上がってきたものは緊張や当惑と言っても差し支えないようだった。
駅を抜け広場の噴水を通り過ぎたとき、横断歩道の信号は赤だった。想像した通りにコーヒーショップが目前にある。視力がそう良くないマニーでも、想像した通りの席に座るブロンドはすぐに見つけることができた。

(考える必要なんかない)

ディエゴを見つめながら、精一杯動悸を抑えようとする。なにも緊張することはないのだ。きっと実際顔を合わせれば、自然に言葉は出てくるだろう。
信号が青く光った。人の流れに逆らわず、マニーは足を動かし始める。革靴も軽くなってきた。ほっとして歩道を渡りきれば、見慣れた姿はごく間近。

(あ、)

自動ドアをくぐるより先に、煙草の灰を落としたディエゴがこちらに気づいた。予期せず視線がかち合い、マニーは思わず息を呑む。
――と。ぺリドットを思わせる双眸をやわらかく細め、薄い唇の片端を吊り上げるようにして、ディエゴは甘やかに笑ったのだ。

(……!!?)

マニーからすれば卑怯ともいえる不意打ちだった。せっかく収まりかけた動悸がとんでもなく早まり、目を逸らして店の入り口とは反対方向へ歩き出してしまった。当たり前だが訝しがられているだろう、理由を聞かれたらどうすればいいのやら。嘘や言い訳を繕うのは苦手中の苦手なのに。

「…冗談じゃない……」

とにかく顔の火照りを少しでも早く冷ましたくて、マニーはネクタイを緩めてみる。後方に追ってくる気配を感じるのだが、名を呼ばれている気もするのだが、どうしたものか。額へにじんだ汗は苛立ちまぎれに、二の腕で拭った。