(リクエスト:シドとシルビアの話・シドが嫉妬 より)

帰ってきてからマニーはとにかく挙動不審だった。オレに向かって何かを言いかけて、でもやっぱり口をぐっと閉じてしまう。それをずうっとくり返しているのだ。観察するのがしばらくは面白くもあったけど、そろそろやめにしといてもらいたい。

「マニー。オイラに告白でもしたいの?」

流してた歌番組が終わったタイミングで、こっちからお膳立てしてあげてみた。

「は?告白?」
「うん。なんか言いたいこと、あるんでしょ?」

隣でマニーは新聞を下げ、動揺した目でオレを見る。そんなに言いにくいことなのか。

「ほらほらぁ、どーしたの?言っちゃいなって!受け止めたげるよっ」

腕を広げてアピールすると、重いため息を吐かれてしまった。だけど一応きっかけにはなったらしい。マニーはため息よりも重そうに声を引きずり出す。

「…………なぁ、シド。お前、シルビアに何かしたのか?」
「シルビア?」

思いがけない人物名を出されて、今度はこっちが動揺した。

「何かって?何もしてないよ?」

疑うような顔をされる。けどマジに覚えがない。前回の来襲、もとい来訪から半月ほど経つがシルビアの機嫌は良さそうだった。それから今日まで、特にやましいこともしてないし。

「マニー。シルビアがどうしたんだ」

要領を得ないオレたちを見かねたのか単に自分が興味をそそられたからか、向かいからディエゴが口を挟んだ。この期に及んでまだ迷うような素振りをしていたマニーは、無言で新聞を折りたたむ。本腰入れて話をする決意がそこから見て取れた。

「……知ってるか。彼女、風邪をひいて寝込んでるそうだぞ」
「へ。寝込んでる?」

知らなかった。言われてみれば、ここ数日メールの一通も来ていない。

「へえ。こいつが知らないことを、どうしてあんたが知ってるんだ」
「エリーから電話があったんだ。今日ふたりで会う約束をしていたらしい。シルビア、一人暮らしなんだよな?それでエリーは家まで様子を見に行って…熱はそれほど高くないが、食欲なさそうだったと心配してた」
「そ、そっか。それで?」
「それでな。明日は自分じゃなくてシドを見舞いに寄こそうか訊いたそうなんだが、そうしたら。……シドは、来なくていいって」
「……はい?」
「なに?」
「だ、だから!ぜったいに、シドだけは寄こすなだと。かなり強く言われたそうだ。その……。会いたくない、と」

頭が真っ白になった。――信じられない。
だけどマニーの顔は真剣そのもので、そんなの疑うまでもなく、これはタチの悪い冗談なんかじゃないのだ。現実にシルビアは、オレを拒絶している。なんで?

「できたんだろ。男が」
「おとこっ!?」

オレの疑問を読んだようなタイミングで言い放ったディエゴ。変な声を出したのは、オレじゃなくマニー。

「バカな。まさか。そんなことが」
「だってな、あのシルビアだぜ?そっち方面の理由しか考えられないだろ。シドに興味がなくなったってことは」
「だが、あのシルビアだぞ?そうとは言い切れないだろう!まだ!」
「じゃあマニー。理由はなんだと思う?」
「そ、そうだな…。病気のせいで一時的に、気が弱くなってるせいだとか……」
「んなタマかよ」

本人にはとても聞かせられない会話が右耳から左耳に抜けていく。
信じられない。信じたくなかった。シルビアがオレを拒絶しているとか、男ができたとか、そんなこと。

「シドしかいないってわけじゃないんだろ?あれだって黙ってりゃいい線いってるし」
「……まあ。女らしく、しとやかにしていれば、な。もしかしたらな」

なんだろうこれ。すっごいもやもやする。
なんでこんな気持ちになるのか、わかんない。

「シド?」

我慢できなくなって立ち上がったオレを、不思議そうに二人は呼ぶ。

「ごめん。なんかそれ、あんまし聞きたくない」

自分でも気分悪そうな声が出たと思う。マニーもディエゴも目をまんまるくして、次に何故かだんだん変な笑顔になっていった。

「……そうか」
「へええ……」
「う、なにニコニコしてんの」
「いや?じゃあ、行くんだな?お前」
「行く?」
「明日だ。シルビアの見舞い。このままエリーに任せるか?どうする」

シルビアと顔を合わせるのは怖かった。
会いたくないなんてことを面と向かって言われたら、どうすりゃいいんだろ。

「ううん。オレが行く」

自分でも気持ちのいい声が出せたと思う。こんなときくらい逃げないで、きちんと幼なじみの本音を聞かなきゃならない。これが最初で最後になるんだとしても。

****

なるべく近寄らないようにしていたマンションの一室。仕事場を出てからここまで、交わすだろう会話のシミュレーションをひたすら続けてきた。まだシルビアはエリーが来てくれると思っているはずだけど、そこは適当にどうにかしよう。あとは明るく楽しく、いつも通りに。
肩へひっかけたバッグには薬や氷枕の看病セット。これはエリーに指示されて持って来た。それと手にぶら下げたビニール袋には道中で調達してきた病人食の材料や果物、飲み物やゼリーなんかまで入っている。こっちはマニーとディエゴが持って行ってやれって、お金までくれた。素直じゃないとこがあってもやっぱ二人とも優しいやつだ。そんな二人がシルビアを、少なくとも嫌ってはいないんだってことも、オレにはちょっと嬉しい。
しっかりやれよと励まされたのを思い出して勇ましい気分になる。緊張しながらもチャイムを押すと、ややあって玄関の扉が開いた。

「悪いわねエリー、昨日も今日も――」

覚悟するほどもなくあっさりシルビアは顔を出した。出迎えてくれた女友達用の笑顔が、オレの姿を見るなり一瞬でこわばった。

「や、やっほーシル、えぇ!?」

気さくな笑顔で手を上げたのだが努力むなしく、電光石火の早業でドアが閉められてしまった。がちゃんと鍵のかかる音まで確認。

「シルビアー!?なあ!?」

取っ手を引いたってそりゃ無駄だ。乱暴になりすぎない程度の力で扉を叩いてみる。

「開けてよ!お見舞いに来ただけだって!」

ドアは開かない。だけどシルビアに聞こえていないはずはない。辛抱強くオレは待った。ここで逃げ帰ったらみんなに、シルビアにだって、あとで合わせる顔がない。

それからたっぷり十五分ほどかかっただろう。やっと扉はあっち側から再び開いた。……ただし、ドアガードのかけられた状態で。

「あ、あのさ……」
「どうして来たのよ」

発言したのは同時。語尾まではっきり言い切ったのはシルビアだ。外はもう暗くなってきていて、玄関の灯りもついていない。下ろされた髪のせいもある。こんな隙間からじゃあ、顔がよく見えなかった。

「あたし、エリーに言ったのよ。シドにはぜったい会いたくないって。知らないの?」
「知ってるよ。エリーは心配して、そのことマニーに相談したんだ。で、マニーからオレに話してくれた」
「……あっの男ォォォ…………」

シルビアの声がものすごく不穏に低まる。こればっかりはむこうの顔がよく見えなくてよかった。

「いや、怒るなよ!マニーだってさ、心配してオレにさっ」
「いいから!ほっといて!…もう!帰ってよ!……っお願いだから!!」

すごく感情的な叫びだった。
ほっぺたを叩かれたような痛覚に襲われて、オレはなんにも言い返せなかった。口がちっとも回ってくれない。

「……そっ、か。ごめん。オレ、帰るよ」

うつむきそうになる。ビニールの持ち手を握って、踏みとどまった。 たぶん笑えているはずだ。

「あとでちゃんとエリーに頼んで、来てもらうようにするからさ。あっでも、差し入れはもらってくれよ?マニーとディエゴのカンパで買ってきたやつなんだ!ここに置いとくよ!」

ドアの脇に袋を残して回れ右する。エレベーターはどっちだっけ。忘れちゃったけど、ともかくここから離れるのが先だ。早くしなきゃ、このままじゃ歩けなくなりそうだった。

いいじゃないか。今のオレには、ちゃんと優しいなかまがいる。
いいじゃないか。もしもシルビアに恋人ができたって。それでオレが不必要になったんだって。
いいじゃないか。だれかに拒絶されるのには慣れっこだ。そうだよ。慣れきっているはずなのにさ。
どうしてこんな、つらいんだよ?

「――シド!」

足音に気づいて、オレが歩みを止めるのよりも早かった。前のめりにコケそうになったほど強く強く、シルビアが後ろからぶつかるみたいに抱きついてきたのだ。
背中いっぱいで感じる存在に圧倒された。動けない。

「どうして、来たのよ」

ぎゅうぎゅうと顔をシャツにくっつけてくるもんだから、声がこもってものすごく聞き取りにくい。言わないけど。

「ノーメイクだし、髪ぼさぼさだし、パジャマだし、昨日なんかお風呂にも入ってないのよ」

なんだそれ。そんなの、病気なんだから当たり前じゃないか。だからどうしたって言うんだよ。

「こんなコンディションで、あなたに会いたくなかったのっ!どうして察してくれないのよ!?ほんっとにばか!大ばか!!」

オレがバカならシルビアは見栄っ張り。いっつも小奇麗にしてるけど、そんなのオレは大して気にしてないのに。

「ずるいわよ、ぜったいぜったい、会いたくなかったのに……。あんな……悲しそうに、するから」

ぼやくのを、まともに息もできないで聞いていた。幼なじみがぐずりと鼻を鳴らしたのは、体調が悪いせいであってほしい。
腹にきつく回された腕に支えられて、オレはかろうじてその場に立っていられた。ごめんってつぶやいちゃったけど、彼女には聞こえていなかったと思う。聞こえていなければよかったと思う。

****

――で。
部屋に入れてもらってから、すぐにオレは仕事に没頭した。そうでもしないと照れくさくってしょうがない。あれこれ口を挟みたがるシルビアを横にさせておいて、台所に引っこんで、おじやを作ってあげて、そこまではいい。万事順調オールオッケー。

「ちょっとシドニー!ぼさっとしないでよ。食べさせてくれるでしょ?」

オッケーじゃないのはベッドで体を起こすシルビアの、とんでもないむちゃぶりだ。
最初こそ「こっち見ないで!」とかなんとか言って顔隠したりしてたのにな。もう開き直ったんだろうなぁ。

「えぇぇ……。自分で食べらんないの?」
「ムリよそんなの。あーん」

しれっと言ってシルビアは口を半開きにした。こうなったらどうにもならない。拒否権も逃げ場もどこにもない。心が折れないように気合いを入れて、運んできた器からおじやをすくってふーふー冷ます。
見つめられているのをむずがゆく感じながら、スプーンを口元へ運んであげた。幼なじみはすするようにしてそれを口に入れ、ゆるゆる食べる。

「おいしい」

化粧っ気のない笑顔には、熱のせいなのかほどよく力がなくて、ちょっと弱々しい感じが妙にかわいいっぽいっていうか守ってあげたくなるっぽいっていうか――うう、うわぁ。勘弁してほしい!
無心でおじやをすくい上げ、またふーふーと息をかけて冷ます。それだけに集中する。こういうことを人にしてあげるのは好きだから作業は楽しい。シルビアの口へ入れ、彼女がそれを少しづつ食べるのを見ながら、オレの胸はあったかくなっていた。

「食べたらさ。薬飲んで寝なよ?」
「うん」

食欲がなかったと聞いてたけど、一人前をきれいに食べ終えてくれたのでほっとした。

「ねぇねぇ、シドニー」

台所の片付けから戻ってくると、シルビアは氷枕に頭をのせてオレを迎える。用意していった粉薬とうさぎりんごはきれいになくなっていた。甘えた口調が、わりと嫌な予感。かけ布団を肩が隠れるように引き上げてやりながら、生返事をした。

「あのね。手、握ってて?あたしが眠っても、離さないで」

布団から手のひらが抜き出される。こうなったら例によって、どうにもならない。拒否権も逃げ場もどこにもない。
ただ握りかえすだけのつもりだったのに、指までがっしり絡め取られた。やれやれと、だんごになった手と手をベッドの中へ押し戻す。

「……ふふふ。たまには寝込んでみるもんね」

オレはこれっきりにしてほしいよ。またあんなふうに心配したりモヤモヤしたり、オレは得意じゃないもん。
なにかを痛烈に思い知らされてしまった気がするけど、それには気づかないふりをしておきたい。まだ当分は、オレのたった一人の幼なじみでいてほしい。シルビアの寝顔はすごーく幸せそうだった。

****

「ただいまぁぁ……」
「ああ、おかえり」
「よう、おつかれ」

翌朝。満身創痍で帰還したオレを迎えてくれたのは、またまた変な笑顔の二人だった。近寄ってくるや、それぞれ両側からオレの肩に手を置いてくる。

「シド。やっとお前らもおさまる所におさまったか」
「まぁ、喜ばしいことだ。おめでとう」
「……あの。判るように言ってくれる?寝不足でさぁ。頭はたらかないんだ」
「寝不足…!?そ、そうか」
「さすがだな。手が早そうだとは思ってたよ」

驚くマニーと感心するディエゴ。何を言ってるんだろうかこのやろーどもは。シャレにならない誤解をされているようだ。

「おいおいおいっ!なーに言ってんの!?やめてよ!手なんか出してねぇ!そんな怖いことするかっつーの!」
「そうくるか。朝帰りしておきながら」
「説得力に欠けるんだよな」
「相手は病人っ!それ以前に、大前提に、シルビアだからっっ!!」

なにしろ死活問題なので、死に物ぐるいで主張する。夜にはまた様子見に行く約束をさせられちゃったから、仕事行くまでちょっとでも寝ておきたいんだけどなぁ。二人は顔を見合わせた。

「……だが、実際シルビアから」
「なあ」
「シルビアから?なによ」

マニーが背広からケータイを取り出し、ちょっと操作をする。見せられたのはメール画面。アドレス欄の表示から、それはディエゴにも一括送信されたらしいのが判る。

『おかげさまで素敵な夜を過ごせました。シドはとっても優しくてあったかかった。差し入れも、どうもごちそうさま』

――大小ピンク赤、多種多様なハートマークにデコられた文面は、おおむねこんな感じだった。

「え。はぁ?!これっ、なっ!?」
「押して駄目なら引くってか?シルビアの作戦勝ちだったな」
「おい。穿ちすぎだぞ。いつかはこうなってたんだよ、こいつらは。悪くないエンディングだ」

ディエゴの皮肉には珍しく賛同しないで、マニーはしみじみ目を閉じる。そうそう、これでマニーってばハッピーエンド至上主義なんだよな〜恋愛ドラマ真剣に見てたりするんだもんおかしいよなぁ〜。……あれ?なんだよ。恋愛ドラマってなんだよ。

「そんなんじゃないよ!たしかに作戦なんかでもなかったけど!?誤解だって!大団円みたいにまとめようとしないでよ!」
「なんだ、照れてんのかお前?」
「へぇ?恥なんて概念がシドにあったのか。こりゃ驚いたな」
「だーかーら!そんなんじゃないっ!!」

マニーたちはガキっぽく笑っている。まったく検討違いのことを言われているのに、誤解を解こうとすればするほど墓穴は深くなるばかりだ。
まさかと、かばんから自分のスマホを取り出した。メールが一件。シルビアから。マニーたちのとは違う文面の内容は今夜食べたいメニューのリクエストほか、オレへの愛の言葉と愛の言葉と愛の言葉だったような。途中で意識が朦朧としてきて、そんな長文ぜんぶを一気に読むことはできなかった。
三人寄ればどうとやらなんていうけど、男三人寄り集まってもとうてい解き明かせそうにない。乙女心とかいうやつは。