心地好い口づけを夢中で続けていた。捻じ入ってくる舌の熱さに久しく触れていなかったのだと、マニーは気づく。やはり引き止めてくれる旧友たちを振り切ってまで、急いでここに帰ってきてよかった。そこまではさすがに口に出せるものではないが。
夢心地に浸っていた彼はしかし、ふいと状況に違和を感じてまぶたを上げる。ローテーブルに身を乗り出していたはずのディエゴがばかに自然な動きで、こちらへ馬乗りになってこようとしていた。

「……?!ちょっと、待て!待つとき!待とう!」
「はあ?」

不審げに歪んだ顔を押し返す。

「ディエゴ。したいのは山々なんだが、疲れてるんだ」
「ああそう。で?」
「………で?そ…その……だから。今夜は、付き合えない」

狂おしく沸き上がった衝動は「会いたい」という欲求であり、「性交したい」ではなかったのだ。
悪いとは感じるけれども。
不満をあらわに細まっていた金瞳が策士のようなそれに変わった一瞬を、視線をさまよわせていたマニーは見過ごした。

「マニー。今度の週明け、どういう日か判ってるか?」
「週明け?」
「そうだ。月曜」
「月曜?…十四日?…………あ」

ディエゴの指すイベントに考え至ったようで。アルコールが入っているにも関わらず、マニーはさあっと青ざめる。何かにのめりこむと他事に気持ちが行き届かなくなるのは、彼のよくない傾向だ。

「おととしはお前、去年は俺がやっただろ?期待してたんだけどな、今年。忘れられてたわけか」

実際のディエゴはそういった習慣を重大視する気はなく、バレンタインを意識するようになったのもせいぜい数日前からだった。それでも期待していたのは本当だったのでこの機に愚痴っぽく嘆いてやる。

「悪かったよ…。でも、まだ十四日にはなってないじゃないか。ちゃんと用意は」
「菓子はいらない」
「う」
「そもそも、当日は会えないよな俺ら。帰ってくるのと出かけんので入れ違いになる」
「ぐ」
「誠意は態度で示すもんだろ?」
「その言い草……」
「ここでこのままか、部屋でするかは選ばせてやる」
「ご、後日に持ち越しって選択肢は?」
「ない。その気にならなかったら、殴り飛ばして止めてみろよ」

煮えきらないマニーにしびれを切らし、ソファに押し込めようとしたところで「じゃあ部屋!部屋で!」という答えを得られた。



テーラードジャケットの裾をめくればカーディガン、その下にインナー、さらには保温肌着までしっかり重ねているものだから、厚着嫌いなディエゴは苦笑してしまう。

「玉ねぎみたいだな」
「うるさいな。外は寒いし会場は暖かいし、酒も飲むから体温調節がしやすいように」
「わーかったよ。早く脱いじまえ」

悪いとは言ってもないのに、ベッドに腰かけたマニーはぼそぼそ弁解する。とかく遠回りしがちな自分たちのやり取り。それを楽しむのも一興ではあるが、いつでも歓迎とはいきそうになかった。
寝台の横に立ったまま脱衣の様子を眺めていたディエゴは、マニーが上から二枚を脱いでU首のカットソー姿になってからおもむろに動いた。片ひざを彼の太ももの間に通してマットレスにつく。引けそうになる肩を抱き脇腹をくすぐり、ついばむようなキスを落とす。

「……なぁ、同窓会不倫、っつうのがあるらしい」
「シドだろう…その情報元。不倫だなんて穏やかじゃないな……独身のほうが、まだ多いんだぞ」
「そうじゃなくてな?色目使われたりしなかったかって話」

マニーはぱちと瞬きし、眉根を寄せて笑う。

「いないよ。そんな物好き」

まるで取り合われなかったがそうだろうか。ディエゴは自身を物好きだとは思わない。異性への当たりが特に穏当なのも知っている、いないどころか三十路前の独身女にマニーはなかなかの優良物件じゃなかろうか?自覚されても都合悪いので黙っていた。

「連絡先聞かれるくらいはしただろ?」
「そりゃあ何年も会ってなかったんだから、そのくらいは…。なんだ心配してるのか?私はお前以外のやつに興味なんか無いんだが」
「……。マニー?大丈夫か?正気か?今?」
「そういう返しムカつくからやめろ。あれくらいで酔ってない。すこし、頭がぼうっとしてるけどな」

雑談を交わしながらでも服の内側を探る手の動きにはよどみがない。ひんやりしていたディエゴの指先が、少しずつ肌に馴染んでくる。

「は…。ん、う」

もれる吐息のニュアンスからして、殴り飛ばされることはなさそうだ。伝い落ちた唾液をたどってあごの付け根を吸う。と、マニーの呼吸が詰まり、床についたままの両足がひくんと緊張した。ディエゴの腕をつかみ半身を押し戻そうとしてくるが許さず、舌でくり返しくり返し、喉頭の隆起を執拗になぞった。マニーは懸命に声を抑えているようだったが、その都度二の腕へくいこんでくる指の力が強くなる。

「お前、弱いよな。くび」

ディエゴの気が済むころにはただでさえ色づいていた耳元から首すじ辺りにかけての皮膚が、さらに赤く染まっていた。砕けそうに震える腰。押し倒すのは簡単だった。

「だから、よく隠してんのか。ああいう服着てると、窒息しそうにならないか?」

ネクタイはやむないにしてもマフラーやハイネックやタートルネックやら、よくまあ好き好んで着用するものだ。

「窒息はお前だけだろ……あの、な、首が温かいと体感温度がぜんぜん、ちがうだろ?それで、なぁこら、聞けよ!ディエゴ!さっきから話題ふってくるの、お前なんだからな!?…っおい!!」

いっぱいいっぱいに狼狽する様子を見下ろし、ディエゴは口角をつり上げた。こうも気分がいい。マニーを引っかき回すのが自分であれば。

「マニー」

身をよじろうとするマニーのベルトのバックルに触れ、耳のそばで告げてやる。

「誠意は?」
「……!!」

呪文の効果はてきめんだ。
それ以上の悪あがきは受けずに、衣服を剥ぎとることができた。



「――ディエゴ、なあ、おい?」

腿にくいこむ爪が痛い。いつになくディエゴは性急だった。久々なのだから、もっとじっくり抱き合ったって。返事はなく、かまわず片足を担がれる。

「え、まっ、まだ早っ…」

先走りに濡れたものが体のふちを撫で、びくりとマニーの背が浮いた。無理やりに近い乱暴さでディエゴは体重をかけてくる。あまりのことに、息を吐くのも忘れた。

「っく、う、うぁ……!」

ぎちぎちと、挿し入ってくる形の通りに内部がこじ開けられている。マニーが感じるのはほとんど圧迫される苦痛ばかりで、これでは互いに愉しいとは思えない。にも関わらずディエゴは腰を進めることを止めない。窮屈だろうに、繋がりを早く早く深めようとしてくる。悪寒が背骨を走るが、触れ合ったところは焼けそうに熱い。汗が流れ落ち、それどころではないがエアコンを切りたい、そんなことを思う。そうやって結合部から意識を散らさなければ、どうにかなってしまいそうだった。
最後にぐっと勢いを付けて突き立てられ、ようやく全部を飲み込んだようだ。望まぬ衝撃のせいでひきつった筋肉が緩まないまま、ぐずぐずの視界でディエゴをさがした。けれど視界に探し物はない。
首を動かせば、ざらと頬に触れた髪。首もとにディエゴが顔を埋めていた。そうして不意に、肩口を咬まれる。戯れの甘噛みではない。強すぎる刺激に、マニーは身をすくませた。

「い、っ……!た、いたいっ、て、ディエ、っ」

表皮を傷つける程度は辞さないつもりか、食い入る犬歯は拒もうとするほどかえって凶暴性を増す。さらば声を殺し、マニーは耐えているしかなかった。肌に歯を当てたがるのは知っていたが、こうまでされた経験はそう無い。
本当にディエゴは虫のいどころがよくないようだ。バレンタインデーなんて行事にそこまでこだわっていたのだろうか、そんなタイプの男ではないと思っていたが。あるいは他にも機嫌を損ねる要因が?疑念は尽きないものの、本人へ問うことは避けておく。理屈ではない、自身の根底にある本能が警告を発していた。

「も、…かみつくなよ……!」
「そっちも、な…。痛いくらいなんだよ」

すぐにはディエゴが何を指しているのか判らなかった。遅れて、痛みを我慢するたび下腹に力を入れてしまっていたのだと考え至り、目を回しそうな羞恥に襲われる。

「な、なな…ななななにを、ばっ、かみつくってっ」
「っだから、もうちょい力抜け、きつすぎて動きにくい」

なにしろディエゴの頼みかたもよくない。かじりつくのをやめて、見ればやはりと言うべきか、マニーの肩には少量ながら血が滲んでいた。そこをディエゴは舌先で弄る。

「やめ、っう……」

傷というほどでもないが、そんなことをされれば当たり前に痛いだろう。しかしマニーはそういう、行為で与えられる苦痛をまんざら嫌ってもいないのだ。事実、ディエゴに触れる相手の中心は硬さを失わない。
肩先をすすりながら中が弛緩し始めるのを待ち、突き上げた。抱きしめて、いいところだけを狙って腰を打つ。

「ん、んぁ、っうあ、あぁっ、っ」

悪寒が引き互いに明確な性感が高まるにつれ、内壁もぬめって吸うように絡みついてくる。長く味わっていたくなり、ディエゴは律動を弱くしていった。

「なぁ。さっきの、また聞きたい」
「さっ、きの?」
「俺以外のやつに興味がどうとか、っての」
「い、やだ。さっきは正気じゃ、なかった」
「お前なぁ…。誠意は?」
「……ひ…卑怯だぞ、悪役のやることだ、ろ…!」

喘ぎながら怒るなんて器用なやつだ。ディエゴは低く笑った。

「悪者だぜ?俺は。ほら、言えよ」

ばからしい無駄口を叩いていても、ぶつけられる愛撫はぼやけない。
火照った顔を見られるのが癪で、もっと距離を近づけたくて、マニーはディエゴの背中に腕を回した。

「…お前以外のやつになんか、興味は、ない。お前だけに、惚れてる」

囁きかけたとき、どんな表情をしたのだか。ディエゴは無言だ。こちらの顔を見られないかわり、あちらの顔も見られないのだった。不安に駆られマニーは折り重なった体を一旦離そうとしたのだが、いっそう強く抱きこまれてしまう。最奥がえぐられ、もはや苦痛ではない確とした愉悦に目が眩む。

「ふぁ、は……」
「俺も同じだって言ったら、信じるか?」
「…なに、っあ!?」

疑問をかき消すようにまた律動を激しくされて、荒っぽく唇を食まれて、体中を貪られて。そこから先は何度どのように果てたのか、マニーの記憶はおぼろげである。



「――え、ディエゴ?」

帰宅直後にリビングでも似た反応をしてしまったような。セミダブルベッドの中にうつぶせ本を読むディエゴの姿に、風呂から出てきたマニーは驚く。

「ん、お前遅いんで勝手に借りたぞ」

あのペーパーバッグは読み終わっているからどうしようと構わない。問題はそこじゃない。

「なんでまだここにいる…?」

シャワーを浴びるだけのディエゴに先をゆずって、マニーはじっくり後から沸かした湯船に浸かってきた。とっくにディエゴは部屋に戻って寝ていると決め付けていた。
いつも、お互いそうするからだ。たとえば一緒に寝たとして。まだ夜のあいだはいい。困るのは朝一番だろう。もう一人同居人がいる手前というのももちろんあるが、それより何より気恥ずかしい。朝っぱらからベッドの中でおはようと言い交わすなんて、そんな、そんなのは自分たちの距離じゃないだろう。

「いいだろ?たまには」

閉じた本をベッドサイドに置き、ディエゴが掛け布団をめくる。

「よくない。絶対に早く起きられないから、シドに見られる」
「見られたっていいだろ。やってる現場でもなし」
「事後だって見られていいものじゃない!」
「そうだな。ほら、もういいからさっさと来いよ。冷える」

あしらい方がいよいよ堂に入っている。しかしそれでマニーは不承不承ベッドに寄って行くのだから、ディエゴのやりようは冴えていた。

「知らないからなもう……電気、消すぞ」
「ああ。便利だよなぁそれ」

照明のリモコンをいまさら称賛する口調からして、ディエゴの機嫌は持ち直したようだ。マニーは体の向きをどうすればいいのかも判断できない。さっぱり落ち着かず、ともかくあおむけで天井を凝視する。極度の疲労と温まった寝床のおかげで、ほどなく眠気がやってきてくれたのが救いだった。

「ディエゴ……ほんとに十四日…何もいらないのか……?」
「甘いもんはべつにな。旨いもんなら欲しいけど、もう食わせてもらったし」
「そ…か」

ため息に似た呼気。うつらうつらするマニーにはもう、なにも聞こえていないのかもしれない。洗い立ての髪に指を潜らせてみたり首すじにまた唇を押しあててみたり、ディエゴは無防備なマニーでゆるゆると遊ぶ。
らしくないが今夜くらいは構わないだろう。覚めてしまえばまた、いつもの自分たちの距離。

「…には」
「ん?」
「たまには、いいかも…な…こ…な…のも――…」

手の届く場所にある、親しんだ体温を聴き。徐々に深く、規則的になる呼吸に触れて。ディエゴも和やかな眠りに沈んでいった。