(リクエスト:ディエゴが嫉妬するけど結局はバカップルなディエマニ より) マニーは近ごろとても忙しい。同窓会の幹事をやることになったと話された数ヶ月前から、家を空ける頻度は右肩上がりになっている。会を間近に控えたニ月に入り、慌しさはピークに達しているようだ。 「シド、明日の夕飯はいらないから」 「えぇ。また飲み行くの?」 「バカ。打ち合わせだ」 「でも酒は飲むんでしょ」 「私は飲まない。遠慮なしに飲むやつもいるけどな……まったく」 キッチンカウンター越しに交わされるやりとりを、ディエゴは遠くで聞いていた。元々はごく一部の同級生だけで集まるつもりだったものが、恩師を招いたクラス会の規模にまで企画が膨らんでいったのだという。幹事役はマニーともう一名で担っており、ほか数人の協力者がいるとか。 何事に対してもまず手抜きをせず、雑事を厭うような性格でもない男だ、精力的に他者を引っ張っているのだろう。こうして時おりこぼされる小さな愚痴にも、こめられているのは毒気ではなく旧友へ対する親しみだとうかがえる。会を取り仕切る役目は適任のようだった。 会話の最中にも、ダイニングテーブルの上でマニーの携帯電話が忙しく震えた。 「また電話ー?はい」 シドは電話機をつまらなそうに一瞥し、泡まみれの両手をすすぎ拭った持ち主へそれを渡してやる。受け取ったマニーはしばらくその場で通話をしていたのだが、パソコンを操作しにやがて二階へ上がって行ってしまった。 「あーあ。早く同窓会、終わっちゃってほしいよな。ねぇディエゴ」 ディエゴはテレビを消し、シドと入れ替わりにソファから立ち上がる。 「まさか高校の同窓会に出たことなんてないよね?」 「んなもんやってるかどうかも知らないな。お前もそうだろ?」 「決めつけた言い方しないでよ!こっちは開催されてないからだもん!オレがハブられてるわけじゃないもん!」 風呂に入ってもう寝ようと決め、吠えるシドを背に浴室へ向かう。 高校時代の同級生を思い出してみようとしても、顔も名前もろくに浮かんでこなかった。そのこと自体を辛くは感じないが、そうだとマニーに話したならば、信じられんと驚かれるかもしれない。 つまるところ過去に属していた社会、集団、あるいは群れと言ってもいい、その中になじみ溶け込み、一番うまく生きていたのはマニーなのだ。おおむね順風満帆だったであろう人生に予期せぬ不幸が起こらなければ、彼が孤独に囚われたりはしなかった。そうなればこんな共同生活も、決して成り立ちはしなかったはずで。 「……くそ」 もやもやとした感情の鬱陶しさに舌を打つ。 俺を煩わせるのはあいつだけだ。あいつを煩わせるのも、俺だけでいい。 早く同窓会、終わっちゃってほしいよな――。シドの言う通りだ。それはもう、来週末まで迫っている。 **** 当日。開宴の何時間も前にマニーが会場へ向かうのを見届け、ディエゴも家を後にした。今日はいやに寒い。 「ゆっくり楽しんでこいよ」 心にもないことを言って送り出した。素直に頷いたマニーに最後に触れたのはいつだったか、考えるのはやめにした。 ガキじゃあるまいしと自らをなだめすかしてきたものの、積もり積もった不満は限界値を超え、いいかげん決壊しかけている。同窓会不倫なんてのがあるらしいよーなどとにやつくシドに食らわせてきた拳をポケットにつっこみ、ディエゴは白い息をつく。 辛抱も本日いっぱいまでだ。 シドは夜勤だし、幹事の身であるマニーは二次会や三次会といったものにもきっと参加してくるだろう。早々と帰宅したところで出迎えてくれる同居人がいないのは承知していた。 酒でも飲んで時間をつぶすかと考えたりもしたが、一人では大して楽しみがない。結果、暇を持て余したディエゴがベッドに入ったのは二十二時過ぎ。彼にしてはずいぶんと早い就寝である。 そのせいか、精神をつつく苛立ちのせいか。一向に寝付けず、うった寝返りは数えきれない。 ディエゴの価値観からすればこの感情は固執、執着だ。 恋情、恋着といった甘ったるい雅語は、あいにく彼の辞書に存在していなかった。執着は弱さを生む。あのソトでさえ、そのために我が身を滅ぼしたのだ。ディエゴは弱い自分を望まない。 ――なのに、このざまだ。こうしてベッドで横になっていても眠れずにいる。気分を晴らせないでいる。マニーと自身とに介在する隔たりを少なからず恨み、妬心を抱いている。 毛布の中へ潜り込むように背を丸め、ディエゴは固く目を閉じた。 どれほど時が経ったろうか。 一階で、玄関の開く物音がした。聞き違いじゃない。シドが帰るにはまだ早い。ひとつひとつ丁寧に階段を踏む足音も、帰宅した人間が誰であるかを如実に伝えてくる。 足音の主は自室ではなく、ディエゴの部屋のドアノブをひねった。真っ暗な空間に細く明かりが滑りこむ。光源の方へ背を向けたまま、ディエゴは動けないでいた。 気配がそっとドアを閉め、静かに階段を降りて行く。 ようやくディエゴは体を起こした。胸の中で錯綜する様々な想い。枕元の携帯で時刻を確かめてから掛け布を跳ね除け、リビングへと駆け下りる。 「マニー」 「え、ディエゴ?」 暖房をつけたばかりの冷えた居間で、マニーはコートを脱ぐところだった。何をするより先に自分の様子を見に来たのだと判り、こみ上げてくる些細な充足感。そうと知らないマニーは申し訳なさそうに眉をひそめた。 「すまん。起こしたか?」 「そうじゃない、……早かったな。もっと遅くなると思ってた」 「あとは他のやつに任せて、先生の見送りをして帰ってきたんだ。会は無事に終わったしな、もう十分だよ」 ディエゴは暗闇に慣れてしまった両目を細める。酔い覚ましに茶でも淹れてやるべきか。洗面所へ向かおうとするマニーはさすがに疲労した様子で、しかしほとんど酒気は帯びていないようだ。 「コーヒーでも出そうか」 「ううん。ディエゴ、まだ寝ないんなら付き合わないか。飲み直したいんだ」 「酒?いいけど、残ってるのワインだけだぞ。しかも赤」 「お前はその方が好きなんだろう?構わない」 「ついでにスーパーで買った安物だぜ」 「構わないって。何でも」 注意事項を相手が受け入れれば、ディエゴが誘いを断る理由はどこにもない。食品棚からワインボトル、食器棚からグラス二つを手早く用意してローテーブルへ運ぶ。 三人がけの端に腰かけたマニーの隣へ行こうか、少々迷ったが断念しいつもの通りテーブルを挟んで正面に座った。いつでも遠慮なく誰かの横へ座るシドとは違う。そうしないのが自分たちだ。最適であるはずのそういう距離が、いまばかりはもどかしい。 「つまみもなしで?」 庶民派ワインらしい手軽なスクリューキャップをあけ、双方のグラスに液体を注ぐ。 「ああ、要らないだろ。ほら乾杯」 差し出されたグラスのふちとふちを促されるまま合わせた。飲むよりも話したいことがある。酒には触れず口を開きかけたディエゴの前で、マニーは杯をぐいと干した。一息に。苦い薬をいやいや子供が嚥下するような、えらく粗雑な飲み方だ。 「…おい……?」 「…やっぱり、白だな。ん、なんだよ」 訝しんだ顔をされる。どうも相手の意思がつかみきれないことに、ディエゴは当惑を隠せない。 ひんやりした沈黙が落ちかけたリビングを、ちょうど折りよく低いバイブレーション音がかき回した。ディエゴは携帯を部屋に置いてきたため、音源はマニーのものである。 「……どこからだ」 「コートのポケット」 正面からマニーが立ち退く。息を吐いたディエゴはワイングラスをようやく傾け、いやに渇いたのどを潤す。背後に回った声は、通常よりもいくらか明るい。 「もしもし。……ああ、さっき家に着いた。うん。はは、盛り上がってるな?…あ、あぁ。ごめん、判ってる、次は最後まで付き合う…………うん、うん、そうだな…ああ、近いうちにまた、な」 共に幹事を務めた同級生の男らしい。また。二次会だか三次会なのだか知らないが、向こうの騒音がこちらにまで伝わってくる。マニーは笑い声で調子を合わせていた。待っている間にディエゴのワイングラスも空になり、のどは充分に潤ったのだが、気分はささくれだつ一方だ。 「楽しそうだったな」 相手がソファに戻ってくるころには、ディエゴは三杯目の酒を飲み干そうとしていた。 「本当にな。酔っぱらいだらけなんだぞ?先に帰ってよかったよ」 「向こう側の話じゃねえよ」 「え?」 「そういうお前も、楽しめたんだろ?」 テーブルに置かれた電話をちらと睨んだ。 「ああ。楽しかったよ」 嫌味だと思わなかったのか聞き流したのか、ともかくマニーはすんなり認める。二人分のグラスへ壜をかたむける彼の動作はなめらかだった。 「楽しかった。懐かしかった。……彼女をここに連れてきたら喜んだだろう、連れてきてやりたかった、ってな。考えてた」 優しげにゆるんだ眸。ここには居ないひとのためのものだ。 浮かぶ微笑を直視していられず、ディエゴは呑むのにまぎれて目を伏せた。 互いの生い立ちに介在するギャップを、彼の不幸の上で成り立つ自分たちの関係を、マニーはどう感じているのだろう。 「それから」 今度はきっかり一口分だけ、マニーがグラスに唇をつける。 「――それから、ここに帰ってきたくなった。お前に、早く会いたくなった」 しずかな、強い眸。 このまなざしが誰のためのものかをディエゴはよく知っていた。だれよりもよく、知っていた。 マニー、名を紡がんとしたそのとき、ワインボトルの脇で折悪しく電話が振動した。 「……ディエゴ」 伸ばされた手に手を重ね、テーブルの上で押さえこむ。 「出んな」 マニーは尚も無言で非難を訴えてくる。けれどその表情がためらいに揺らいだ瞬間を、ディエゴは見逃していなかった。節度を知らない子供じゃないのだ。マニーが進んで選ぶのならば辛抱もしよう。だが、選ぶのを迷うくらいなら選ばせない。 やかましい呼び音が鳴りやんだ。やっと触れられた体温を逃がすまいと握りしめ、茶色の髪を後頭部からつかみ寄せる。 唇を求め合う間に三たび震え始めた携帯電話。電源をディエゴは、持ち主に代わってオフにした。 ここまでリクエスト話。 読んでもOKな方は*2011バレンタイン記念の後半もどうぞ。 |