がさがさに乾いたハスキーボイスはおかえり、と呟いたらしい。不本意ながらコートはひとまず椅子にかけておき、マニーはテレビのリモコンをつかんだ。耳障りなバラエティ番組がぶつりと消える。

「医者に行けって言ったよな」

今朝方あれほど言い聞かせて出かけたというのに、昨夜から変わらず寝間着がわりのジャージ姿。ソファにだらりと腰かけたシドは、言い訳がましく口を動かす。

「だって。注射とかされたら怖いじゃんか、一人で病院行くの心細いじゃんか」
「いい歳して幼児みたいなことを言うな。いや、幼児に失礼だな。仕事を休んどいて家でダラダラしてるような大人と一緒にしちゃあ」
「病院って嫌いなんだもんオレ。行ったらよけい具合悪くなっちゃう」
「好きな人間なんて普通いない。結局面倒だっただけだろう?そうやってだらしないから、そもそも風邪なんかひくんだ。帰ったら手洗いうがいを徹底しろと私はいつもお前に」
「うあぁー!わかったよ!わかったから病人にお説教しないでよう!」

叫び、まだ何かを言いかけたシドだがそこで盛大に咳きこんだ。
呼吸もままならないほど、ひどく苦しげにうずくまる。丸まった背を見かねてマニーがさすってやり、ようやく咳は治まった。
よくよく近寄ってみれば鼻の回りをはじめとするシドの皮膚は荒れてかさつき、なんとも痛々しい状態だ。目だけがぐったりと濡れている。自室から持ってきたらしく足元にはご丁寧にごみ箱。中に詰まったティッシュの山を見やり、マニーは呆れる。

「昨日よりひどくなってるんじゃないか?」
「かもね」
「だから医者に行けって……。…水、飲むか?」
「うん。飲む」

尚も咳きたがるのどを騙し騙し発声するため、返答はか細い。頷いてマニーが水を注いでくる間も病人はしきりに鼻をかんでいた。

コップを片手に戻ると、シドは指先でティッシュペーパーの一角をねじっている。

「何してるんだ」
「いくらかんでも鼻水止まんないからさ、こーやってフタしとけばどうかな!?」

両の鼻孔にティッシュを押し込む、ふやけた笑顔。つらいのは判る。けれどどうしたって体裁は最悪だ。鼻からティッシュをぶら下げた面は、まぬけ以外のなにものでもない。

「やめとけ。実際以上にバカに見える」

ため息まじりにマニーは言った。張り合う力も無いのかシドは鼻栓をおとなしくごみ箱に放って、差し出された水を受け取る。息苦しそうにふたくちほどを飲み下し、それだけでローテーブルにコップを置いた。
マニーが隣に座ると、体を横へずらそうとする。

「…くっつかない方がいいよ。うつる」
「お前はそれでいいんじゃないか?治るらしいぞ。うつすと」

いつもいつも鬱陶しくくっ付いてきたがるくせに。しおらしい物言いが不気味だと茶化すつもりだったが、シドは沈痛に眉を曇らせた。

「嬉しくない。マニーにうつして、治っても」

から元気をふりまく元気も失ったのか、弱々しく鼻をすする仕草も瞳もどんよりして弱々しい。
皮肉ることもできずマニーはしばし押し黙っていたが、深く息を吐いてシドに体を寄せた。

「しおらしいこと言うな気色悪い。厚かましいのだけが取り得だろうが」
「へ……。厚かましいのは、取り得って言わなくない?」

ますます艶をなくした髪を横から撫でてやっても、抵抗らしき動きは無かった。

「テレビ、つけるか」
「ううん。あの番組おもしろくなかったから」
「そうか。……部屋で寝てる方が、楽なんじゃないのか」
「一緒に寝てくれるならそうする」
「寝ない」
「ご希望通り厚かましくしたのに?じゃあ、ここでこうしてた方がいいや」

鼻を使えず呼吸するものだから、文字通りしまりなく開きっぱなしの口元。見つめていたって得るものは無いので、マニーは新聞に腕を伸ばす。

「明日は、行くよ。病院」

ついて行こうかと申し出れば過保護だとシドは笑い、再び盛大に咳きこんだ。