帰り道にある児童公園の外灯は夏から秋、冬へと季節が移ろうにつれ、どんどん早く明かりが点くようになっているみたいだ。実際そういう仕組みなのか単に日没が早まったせいでそう感じられるだけなのか、私には判断がつかないが。 木製のベンチから立ち上がった、くせのない髪がさらと肩口で揺れる。育児に多少慣れた昨今、妻は再び髪を伸ばし始めた。伝えはしないが長いほうが似合うと考えていたから、それは密かに喜ばしい。 「マニー。おつかれさま」 「ああ……待ってたのか?」 「いいえ?お買い物の帰りに、ちょっと寄っただけ。たまたま会えたのよ」 そう弁明するが脇に置かれたビニール袋のロゴマーク。これは家からこの公園と、逆方向のスーパーマーケットのものだ。よくない風邪が流行っている。なるべく外に出ないほうがいいと言ってあるので、そんなささやかな嘘をついたのかもしれない。 今日は早く帰ると連絡したのは失敗だったか。取るに足らない反省は、ひざにくっついてきた息子のおかげで、生じたそばから消えさってしまう。 「ただいま」 両わきの下を抱えたついでに何度か頭上まで持ち上げてやると、はしゃいだ頬がさらにりんごのようになる。あどけない赤らみに自分のそれをくっつけ、私も笑った。 「パパは嬉しそうねー。ママの顔を見たときよりも」 ゆるんだ顔のまま、拗ねたふうに子の髪を撫でてささやく彼女を見下ろす。無論拗ねた「ふう」であって実際に拗ねているわけではない、判ってはいても、少しばかり具合が悪くなり。 「寒いんじゃないか?」 先ほどから気になっていたことを、話をそらす目的も兼ね訊ねていた。 「大丈夫。この下に、あと三枚も着せてるから」 「この子じゃなくて君だ」 手足をばたつかせ下ろしてほしいとアピールし始めた体をベンチに座らせる。息子の首には紺色のマフラーがきっちり、顔が埋もれてしまいそうな入念さで巻かれているのだが、自らの防寒にも気を使ってほしい。首から外したマフラーを、妻の細い肩へと移す。 「…ほら、冷えてる」 あいにく今日は手袋を持っていなかったので、ひんやりした指を包み込むよう両手で握った。 「あなたの手は暖かいのね。いつも」 やんわり弧を描く唇、伏せられた瞳に落ちるやわらかな影。 私の手の甲へ彼女も触れる。向かい合い、胸元で互いの手に手を重ねた格好のままで、他事のすべてを忘れていた。 出会ったころから声を荒げる姿すら見たことがないひとだ。しかしこうした何気ない呟き一つにすら穏やかな、いつくしむような含みを持たせるようになったのは、おそらく子供を産んでから。妻になり、母になり、彼女はいっそう美しさを増しているように思う。 「……ふふ」 「え?あ」 忍び笑いを聞き、妻に見入っていたことに気づく。つい気恥ずかしさに、添え通しでいた片手を放した。しかし逆に握りこまれている方の手を解放されはしなかった。むしろ、より力をこめられる。 「マニー」 全身に染み入る音。 「一緒にいたいわ。もう少したくさん」 あまり自分の要求を表に出さないひとだから、その台詞のどこか切実な、哀願を思わせる響きには驚いた。驚きを遥かに上回る嬉しさを感じた。 「…悪かった。来月からは残業を減らすよ。休みもちゃんと取る」 「本当?」 家族のために張り切って働いていたつもりだが浅はかだったのだろう。 しっかり頷いてみせる。安堵したように妻は笑った。 「ありがとう。――マンフレッド」 「うん?」 返事がやわらかくなるのが自分でも判る。 真っすぐなまなざしを受け止めそこねてしまいそうだったので、両目を細めた。彼女が紡ぐ自分の名が好きだ。単なる記号としての名前ではない、もっと特別な、内包された想いに、何度だって幸福な気持ちになれるから。 「私ね。とても、幸せよ」 なぜかその言葉は儚げに聞こえた。私と同様の気持ちを伝え聞いた、はずなのに。 「なら、……もっと幸せにしてあげるには、どうすればいい?」 よぎった不安を隠して訊ねた。冗談めかして笑ってみせたが、真剣だった。 どうか答えを、その術を教えてくれと強く願った。 「来月からは早く帰ってくれるんでしょう?それで充分」 求めた返事が得られなかった落胆。 「欲がないんだな」 わざとらしく肩をすくめてごまかした。 「帰りましょうか。あなたが風邪をひきそうだわ」 ベンチから降りようとし始めていた子の手を引いて支え、妻は淡く微笑む。買い物袋を持ち上げ、もう一方のふっくりした手を私も握った。 並んだ三人分の影。弱い光にじんわりと転写され、散り敷かれた落ち葉の上を占有している。 幸福すぎて心細くなるなんて、そんなことが実際にあるのかと呑気にも考えた。愚かだったのだ。 うしなう可能性から目を背けていた。うしなう未来など考えようともしなかった。君たちのおかげで幸せだと、君たちがいるから幸せなのだと、妻とあの子は知ってくれていただろうか。 |