学校の自習室は好きな場所だ。机が広くてたいてい静かで、他の教室より採光が控えめで。勉強はもちろん、居眠りしてしまうのも仕方ない。
穏やかな寝顔をいつまでも眺めていたかった。

何があったのか、慌てた様子で騒々しく出ていった下級生たち。静かな教室中にその雑音はよく通った。部か委員会の後輩でもあれば注意を飛ばしていただろう。しかし見知った顔はなかったようだ。

「…あれ……?」

隣で身じろぐ薄い肩。やっぱり起きちゃったじゃないか――俺は一面識もない下級生たちを恨みながら、握っていたペンをノートに転がした。

「…寝ちゃってたんだ、私」

頬杖をくずし、ぼんやりした声が呟く。

「十五分くらいだけ」

さっきの団体が去ったいま、残る自習室利用者はぽつぽつと片手ほど。それをいいことに会話を交わす。腕の時計を確かめ、本当は三十分近かったのだがさばを読んだ。

「そっか」

嘘がばれることはなかったものの、何のなぐさめにもならなかったようで。彼女は自分を責めるみたいに唇を噛む。

「なあ、眠たければ眠ったっていいんだ。体こわしたら元も子もないだろ?」
「そうね。でも……落ちたら、それこそ元も子もないもの」

志望大学を俺と同じところにするのだと報せてくれて以来、受験勉強に根を詰めすぎだ。時々こうやって思いつめた様子を見るたび心配で正直気が気じゃない。
伝えたらもっと無理をされそうなので黙ってきたが。

「私は頑張らなきゃ。居眠りなんかしてちゃ駄目なの。マニーみたいに、先生のお墨付きがもらえればいいんだけど」
「俺みたいに?あんなの、ただの気休めだ。誰も無理だとは言わないよ」

志望校を変更したいと伝えたとき、進路指導の教員は渋い顔をしたらしい。
何でもないみたいに話してくれたけど、判っている。そのせいで彼女はすごく気落ちしていた。それから俺はあの教師が嫌いだ。

「へそまがり」

ああ。どう言われたって、そうして微笑んでくれるなら安いものだ。こうやっていつも笑わせてやりたいし、そうやっていつまでも隣で笑っていてほしい。だから。

「あのさ」
「なぁに?」
「その……俺のほうが志望校を変えたら、どうかなって」

ずっと考えてた。望む未来のために、進学先なんてさほど重要なものではないんじゃないか。

「卒業しても、大学が違っても、前は平気だと思ってた。けど今はもう考えられないんだ、離ればなれになる…なんて」

愛してる、そんな言いかたはまだできない。しかしこの気持ちはそういう本物で、ずっと揺らがないと理解している。だからこれはほとんどプロポーズのつもりで打ち明けた。馬鹿みたいに緊張していた。

「マニー。――その気持ちはすごく嬉しい、けど」

逆接で言葉が途切れる。それでも不安は起こらなかった。
潤った黒目がちの瞳は、一度だって俺から逸れずにいてくれたから。

「けど、それには甘えられない。離ればなれにならないように、私が頑張るから。信じてくれるでしょう?」

信じてなかったつもりはない――でも、自分の浅慮が恥ずかしくなった。
向けられた表情にはどこか吹っ切れたような軽やかさがある。陽光は薄いカーテンにろ過されとてもやわらかいのに、目が眩んだ。

「友達がね」

耳元に小さな手と唇が寄せられ、ひそり囁かれた。ブラウス越しの肩が肩に触れてきたおかげで内心どぎまぎしてしまう。

「私たちのこと、熟年夫婦みたいだって。冷やかされたんだろうけど…私はね、素敵だと思う。本当にそうなれたら」

こんなにまで、涙が出そうになるくらいに人を愛しく想ったのはこのときが初めてだった。
照れくさそうに桃色の頬がはにかむ。キスしたくなった自分はたぶん、すごく浅ましい。