「マニー」
「うん」
「ねぇ、マニー」
「ああ」
「マニーってば」
「んー」
「……もう!マニー!?」

夜中だからと低めていた声をエリーはとうとう張り上げ、ベッドの上で半身を起こした。

「え…?なんだ、呼んだか?」

散漫な生返事ばかりしていた夫はやっとのことで顔を上げ、今さらそんなことを言う。慣れたものだから怒る気はしないが、ため息をつくことくらいは許してほしい。結婚して一緒に暮らすようになって、いつでも共寝できるようになった。それ自体は嬉しい。けれど伴う不便さもある。

「うん。呼んだわ。何度も。ねぇ、そろそろ電気消して眠らない?すぐまた起こされちゃうんだし」

けんか腰にならないよう注意して、穏便に願う。会社にいては昼寝をすることもできないのだ、おそらくはエリー以上に寝不足のはずだがマニーは名残惜しげな顔をした。

「うん。そうだな……でもあと、もうちょっと」

かれこれ半時、夫が飽きもせず眺めているのは部屋の片隅――元は彼の机が置いてあった場所に据えたベビーベッド。むろん眺めているのはベッドそのものではなくそこに寝かせる、生後一月に満たない娘の姿。

「寝顔は天使なんてよく言うけど、その通りだよな。いや。寝てなくたってピーチは天使みたいだけど。かわいいよなぁ愛らしいよなぁ。ほんと君に似てる」
「シドもよく言うけど、そんなに似てる?どこが似てるかしら」
「どこって目元と口元と鼻元と耳元と」
「あのね。それじゃあまるっきりわたしと同じ顔になっちゃうじゃない」

エリーの冷静な指摘も右から左。なめらかな天然木製のヘッドボードに手をかけ、ふにゃり微笑むマニーはどこまでもどこまでも幸せそうだ。

「よく聞くじゃない?女の子は父親に似るんですって」

数秒前までの微笑みが嘘のように、その一言でマニーの顔がさっと曇った。

「ない。それは、ない」
「え?」
「根拠もない迷信だろう?」
「……マニーは嫌なの?この子に似てるって言われるの」

どうしてか悪口でも浴びせられたみたいに不満げな夫へ、エリーは驚いて訊ね返す。セミダブルベッドの空いた半分がすうすうした。

「違うよ。そうじゃない、私が嫌なんじゃなくて」
「なによ。ピーチが嫌がるとでも言いたいの?」

マニーは応えなかったが、沈黙が問いかけを肯定したように感じた。それでエリーはとても腹が立った。掛け布団から抜け出し、ずかずかと彼の傍らに向かう。見つめてくる瞳は悪びれもせず穏やかだ。

「似るなら君に似た方がいい。似てほしい」
「どうしてよ?この子はあなたにも似てるわ」
「エリー。ただ私は、君に似ればこの子も美人になるだろうから」
「あなたに似たって美人になるわよ!」

彼は目を丸くし、ちらと気遣わしげに娘の様子をうかがった。思わぬ怒声に目を覚ましてしまわないかと心配したのだろう。幸い赤ん坊は健やかに寝息を立て続けている。エリーとしては、起こしてしまっても構わなかったが。

「すぐマニーはそういう言い方するんだからっ」
「お、おいエリー、落ち着け。大声出すとクラッシュたちにも悪いから」

静かに、と唇に人さし指を当て、もう一方の手でエリーの背中に触れる動作。夫が妻をではなく、父親が娘をなだめようとしているみたいだ。抗い、彼女はきっぱり告げる。

「マニーはすごく格好いいわよ!」
「…………。へ?」

突然怒り出し、突然そんな褒め言葉を投げつけられて、マニーはただただ呆気にとられた。

「あのね?マニーは格好いいんだから、もっと自信持ってって言ってるの」

ああ、怒っていてもエリーはきれいだなぁ――と現実逃避したがる頭を軌道修正して、彼は妻の思惑を理解せんと努める。しかし、真意はさっぱり判らない。

「ええと。つまり、君が言いたいことは?なんでそんなに怒ってるんだ?」

エリーはじれったさに唇を噛んだ。もう、なんて鈍い人だろうと思う。

「だから!マニーが自分を卑下するのは、あなたを選んだわたしと、この子を、侮辱するってことでしょう!わたしはね、マニーのこと、誰よりも格好いいと思ってるんだから。そんな言い方しないでちょうだい」

エリーが口を閉じ、ずいぶん長いこと沈黙が彼らを包んでいた。
その間マニーの目じりに浮いた熱が頬へ、さらに耳へと染みていく。最近は恥ずかしいことをささやいてのけることも多い夫だが、性根はとてもシャイなのだ。あるいは自身が褒められるのは苦手なのか。 赤ん坊のふよふよ頼りない髪をそうっと撫でて目を伏せ、彼は降参だとばかりに苦笑った。

「――…私も」

エリーの手に触れる動作は、しかし子供にするものとは全く違う意味合いを持っているのだと知っている。

「君を、誰よりも魅力的だと、思ってる」

+ + +

夫婦の部屋の外。ドアの前でひざを抱き、縮こまる小さな影ふたつ。

「……なんで起きてきちゃったんだろうな。うちら」
「バカみたいだよね。口げんかしてるんじゃなかったんだもん」
「卒業したらさ。すぐ出ような、この家」
「うん。僕、シドたちのアパートに住むんでもいいな」

同居で割りを食うのは義兄の方だと楽観していた。甘かった。
力なくささやき交わし、双子はやはり小さなあくびをこぼす。