家の鍵をなくした。キーホルダーのかたまりにくっついてたそれは、いくつかのマスコットと一緒に姿を消していた。繋ぎにしていたボールチェーンが切れたんだ。 「…マニー怒るかな……怒るだろなぁ」 日が長くなったから外はまだいくらか明るい。だけど三十分近くも軒先で丸まってたせいか、どんどん気分は滅入ってくる。マニーの電話は圏外だったし、まだ家にいるはずのディエゴにも全然連絡がつかない。どっかでぶらぶらしてればよかった。今からそうすることだってできるのに、そうしたいとは思えなかった。 「早く帰ってこいよー」 呼びかけてから握ってたケータイをリュックへ放りこんで、立てた両ひざのあいだに顔を埋める。 (昔みたいだ) 思い出してしまったが最後、いよいよ陰気になり始めていた。 おじさん、おばさん、いとこたち。ここに住むようになってから一度も顔を合わせてないが連絡一つ寄こしてこない、オレの元家族。 たとえば週末、彼らが行き先も告げずオレをひとり家に置き去りにして行くなんてのは日常茶飯事で。朝、目が覚めたら家が嘘みたいにがらーんとしてる、あの心細さ。それを味わうくらいなら厄介者あつかいされたってシカトされたって、誰か居てくれる方が百倍よかった。 こうして鍵をなくしたこともあった。夜まで待っても誰一人帰ってこなくて、結局たまたま開いていたトイレの小窓をよじ登って家に入ったんだっけ。あのときは妙に笑えた。泣きたくもなった。たぶん、オレは誰かに鍵をあけてもらって、そうやって家に入れてほしかったんだ。 鼻の奥がつんと痛む。あああ。もーやだ。 身悶えたいのを抑えるようにますます小さく丸まって、ますます強く目を閉じる。 「シド!!?」 ……急に頭の上で怒鳴られて、喩えじゃなく体が飛び上がった。 「な…なに!?マニーもディエゴも、どしたの?」 「どしたの?じゃねえ」 「お前が何だ、どうしたんだこんな所で?」 屈んでいてもまだまだ高い場所にある顔二つを交互に見上げる。察するに、怒鳴られたんじゃなさそうだ。 名前を叫ばれただけらしい。 「あ、その、……ごめん。マニー」 怒られる前にとりあえず謝った。マニーは顔をしかめたけど、ちょっといつもと感じが違う。 「なにが」 「…怒んないでくれる?」 「……ああ。多分、怒らない。どうしたんだ」 目の前で立て膝になったマニー。同じ高さとまではいかない、それでもかなり視線が近くなる。ディエゴまで真剣な顔をしているもんだから、ガラにもなくどきどきしてしまった。 「それが、さぁ。……鍵」 「…かぎ?」 「うん。鍵。家の鍵、なくしちゃった。ごめんね?」 「…………それだけか?」 「それだけって?」 傾げた頭をひっぱたかれた。豪快にオレは横転する。玄関先で。 「いてぇぇ!?なんだよ怒らないって言ったじゃん嘘つき!」 「多分とも言っただろ!てっきり私はお前が泣いてたかと思っ……あぁもういい!一生そこで寝てろ!」 顔が真っ赤になるほど激怒したマニーはバッグから鍵を取り出して、さっさと自分だけ家に入っていった。残った頼みの綱は苦笑いして、転がっているオレを見下ろす。 「ディエゴー…」 「気の毒だがお前が悪い」 「なんでー?だってオイラ謝ったのにさぁ……」 ぶつぶつ愚痴るも耳を貸してはくれずに、ディエゴはデニムの後ろポケットからキーケースを取り出した。さらにその中から一本鍵を取り外し、こっちへ投げる。 「あ」 ゆるやかな放物線を描いて降ってきたのは銀色の、紛れもなくこの家の鍵だ。 「この時間ならまだ店もやってるだろ。早く行って合鍵作ってこい」 「あ、ありがと。でもさ、どうしてケータイ持ってかなかったんだよ?」 「煙草が切れたんで買いに出ただけだから」 「三十分以上も?」 「……最近体がなまってるから、散歩も兼ねてな」 「うわぁおじいさんみてー。マニーも電話が繋がらなかったんだよなぁ」 つい正直に感想を述べたら睨まれたけど気にしない。ディエゴは舌打ちしながらキーケースを元の位置に入れ直す。 「地下でアイスを買ってきたとか言ってた。きっとそれでだ」 「アイス?マニーが?」 「…お前が食いたいって話したんだろうが」 言われて思い出す。そうだ、雑誌で紹介されてたデパ地下の大人気シューアイス。マニーの帰り道だからって、三日くらい前にねだったのを忘れていた。でもあのときは確かにすげなく断られたはずなんだけど。 「おい、早く行けって」 「うわっ!?」 まじめに考えこんでたのに、腕を掴まれ荒っぽく引き起こされる。不便だろとの言い分はもっともだから、素直に服をはたいてスニーカーの紐を結び直し、リュックをかついだ。 「じゃ、行ってくる。帰るまでにはマニーのご機嫌とっといてよディエゴ?」 返事は聞かずに全力で駆け出した。 作ってもらう新しい鍵を持つのも、絶品らしいシューアイスを食べるのも、大好きな家に帰るのも、オレには楽しみで楽しみでしかたない。 |