「ねぇパパ。わたしたち、変なの?」

厳しい氷河時代も間氷期にさしかかり、広がる湿地は穏やかな日光に照らされている。付近に仲間たちは居らず、遠景にはのどかに草を食む動物たちの姿。微風にやわらかな毛を揺らす幼子は、悲しげに父をふり仰いだ。

「みんながね。マンモスはマンモスの群れで、くらすんだって言うの。ピーチたちはちがうでしょ?だからおかしいって。変だって」

自らの境遇が特殊なものだと、娘がいつかは知るであろうことは判っていた。そしてその時期は予想よりずっと早かった。大人が思っているほど子供は世間知らずなものではないようだ。
私たちは変なんかじゃない。
彼女が望む通りにそう言ってやりたいが、しかし、それは嘘だ。偽りを口に出すことはできなかった。
言葉を探して言いよどむマニーに、子はますます不安げな顔をする。

「…いつか、ディエゴに……食べられちゃうぞって」
「言われたのか?」

ふわついた頭が一気に冴えた。
いまや少数であるものの、肉食獣が村に住み着く現状に難色を示す者もいる。そういう大人の影響を受けた上でか、単に子供の残酷さをもっての毒なのか。

「ねぇパパ。わたしたち、変なんかじゃないよね?ディエゴだってやさしいもの。みんな家族なんだよね?」

マニーが憤るのはそれが「冗談では済まされないから」だとは、まさかピーチも思うまい。産まれる時分から天敵であるはずの剣歯虎に守られ、ノーマルなマンモスのコミュニティに属した経験を持たないまま育つ愛娘。彼女が草食獣としての自衛意識に欠けているふしがあるのは両親たちにとって不安材料のひとつだった。

「……私たちは変、か」

その通りなのだろう。
マンモスのコミュニティに属した経験の無い娘はもとより妻もおそらく知るはずがなく、知る必要もないとマニーは思っていることだが、分娩中のメスがサーベルタイガーに襲われる事例は非常に多かった。無力な母親と新生児。狩猟者にとってこれほど恰好の獲物はない。

マニーが初めて母子の無残な亡骸を目にしたのは、今のピーチと同じくらいの年頃だったろうか。名も知らぬ相手であった。惨たらしい光景を前に、体の震えは止められなかった。捕食される恐怖を、運命の不条理さを。そうしてマニーは学んできた。

「なあ、ピーチ。パパは……マンモスの群れで、暮らしてたことがあるんだ」

娘は両目をまん丸にした。母親ゆずりの旺盛な好奇心を、大いに刺激されたらしい。

「そうなの?じゃあ、どうして今はちがうの?」
「……ピーチもそうしたいか?群れで暮らしているマンモスの仲間に入れてもらうんだ。きっと、できるよ」

質問を質問で封じられたことに気づかず、幼子はまん丸にさせた目をぱちくりさせる。懸命に答えを探す姿は微笑ましい。
考え込んでいたピーチはふと思い当たったように、注意深く父へ訊ねた。

「みんなで?ディエゴもシドも、みんないっしょ?」

聡い娘だ。親の欲目だと妻なら呆れるのだろうが。マニーは厳しい事実を、なるたけ優しい声色で述べた。

「いいや。みんな一緒には、行けないよ」

言葉にするだけで胸がざわつく。ピーチの顔を見るのがつらい。

「マンモスの群れにもルールがあるんだ。だから」
「やだ!そんなの!みんないっしょじゃなきゃ、いや!」

迷いのない叫びを聞き、マニーはほっと目元をゆるめた。
脅かすつもりはなかったものの、泣き出しそうなほどに悲しい思いをさせてしまったのは自分だ。彼女を溺愛する身としては苦しかったが、もたらされた安堵が血液を温め、体内を巡る。

「そうだな。パパも、その方がいい」
「みんな、いっしょ?」
「ああ」
「ずっとだよね?みんな、ずっといっしょがいい」
「――うん。ずっと、一緒だ」

怯えこわばっていた小さな体から力が抜けた。マニーの鼻に鼻をちょっとからめて、ピーチは彼からくるんと離れる。

「ともだちの所へ戻るのか?」
「ううん。シドたちとあそぶの!」
「そうか、気をつけて」

忠告を聞いてくれたかどうか。ちょろちょろと尾を振りながら大急ぎで湿地を駆け出て行く娘を、マニーは最後まで見守っていた。

「…ずっと一緒……か」

記憶は痛みと同じだ。薄れることはあっても、消え去ってくれることはない。人間に負わされた刺傷の痕やそれより大きな心の傷は、今も時々ちりちりと痛む。一生涯、全癒は見込めないだろう。
妻子と共に属していた、マンモスの巨大な群れ。ふたりを失い自らも傷を負ったマニーを、群れの仲間は切り捨てていった。そんな彼らを恨んでなどいない。少数を犠牲に多数を生かす、生き残るために群れは正しいやり方をしたまでだ。決断を下したリーダーは才知に長け、皆に慕われるすばらしい適材だった。

「恰好の獲物」を恐竜から守り通し、マンモスとナマケモノは食えなくなったと苦笑さえしていたディエゴ。現在はレイヨウなどを主食にしているそうだ。顔見知りは食いにくいと遠方まで狩りに出向く手間までかけている。狩猟の精度が落ちて焦燥していたこともあったようだが無理もない。サーベルタイガーの剣牙や鉤爪は決して小型の動物を狩るためのものではなく、あくまで大型の獣を喰い殺すのに適っている。

ひどく不自由、不自然な生きかた。

意図せずともそんな生き方をディエゴに強いているのは自分たちであることに、マニーは罪悪感を覚えずにはいられない。仲間が共にいることは当たり前なんかじゃなく、尊い。地下世界での一件以来、マニーの意識は変わっていた。

広がる湿地は穏やかな日光に照らされている。遠景には変わらずのどかに草を食む動物たちがいる。しかし時代は音もなく移ろい、刻々と変化しているのだ。

昔は果てしなく広がっていた大草原は気温の上昇によってか、部分部分が沼地や湿地へと変化している。現にマニーの足元に茂る草も水に浸って食料にはできない。
ここから山を一つ越えた場所に落ち着いていたマンモスの群れが人間に襲われ、子どもたちばかり何十頭もが殺されたと、そんな情報も耳に届いた。
一昔前は人間だって、こんな狩りの仕方はしていなかった――いつか危惧した「絶滅」という脅威は、やはり着実に忍び寄ってきているのかもしれなかった。

死ぬことは怖くない。
どうせ一度と言わず幾度も死んできたような命だ。いつ失おうとも惜しくない。マンモスという種として、マンフレッドという個として、自分がなすべきことは精一杯果たした。
ただ、どうせ生きているのなら。
命が潰える、そのときまでは。

「私は、ここで生きていたい」

偽りを口にするのと同じくらいに本音を口にするのは難しい。ひそやかに編まれた願いは、けれど誰かが聞き届けてくれたのだろう。
マンフレッドという個のいのち、マンモスという種のいのち。絶えるのはまだまだ。遥か未来のはなしである。