花瓶に活けた可憐な枝ぶりの桃の花。その脇に並ぶ真新しい人形の尊顔も、今日は特に優しくほころんでいるように見える。

「マニー、夜はちらし寿司とお吸い物でいいかしら。嫌いだったりしない?あの二人は」
「大丈夫だろう。食べられないとは聞いたことないな。……ふ、お寿司だって。ピーチは残念だなぁ。食べられなくて」

愛娘が初めて迎える晴れの日を、今夜は皆でささやかにお祝いする予定だ。
しかしちらし寿司どころか昨今やっと離乳食に慣れてきた彼女が「ひな祭り」の何たるかを理解しているはずもない。父の腕の中、くわりとピーチはあくびをした。

「なら決まり。わたし買い物に行ってくるから!」
「ああ、気をつけて。一緒に行きたいところだが」

ソファの背もたれに手をかけ、夫の肩ごしに娘の顔を覗きこむ。むにゃむにゃ動いた口元を笑った。

「寝ちゃいそうだものね。いいわ、すぐ帰ってくる」

上着を羽織り小さなバッグを手にし、出がけにエリーは華やぐリビングの片隅へと改めて視線を向けた。

飾り台に屏風、桜橘、ぼんぼりに三宝菱台が一組ずつと、主役であるペアの雛人形。これら丸ごと友人たちからのプレゼントだ。
はじめに提案されたのは重厚な七段飾りだったのだが置く場所にもしまっておく場所にも困るから、エリーはコンパクトな親王飾りを選ばせてもらった。
それならこの通り。居間のローボードにも載せておける。
最初の提案を辞退されたうえ、人形はたった二人だけ。ディエゴは不服そうだった。対するシドには裏でこっそり感謝をされた。無理もない。豪華絢爛の壇飾りは、当然値段も相当に張る。
二人からの贈り物に関してマニーは一切の口出しをせず、すべてをエリー(とピーチ)に一任した。
こういうものはよく判らないから君の好きにすればいい、と言っていた。興味薄そうにふるまっていたのは二人から贈り物をされることが照れくさかったからだろう。

そんな夫がエリーと同じように、じいっと親王飾りを見つめていた。

「マニー?どうかした?」

声をかければマニーはこちらを顧みて、さらにまた腕の中へと目を落とす。
その表情は一貫して実に真剣だ。

「雛人形を片付けないでおくと、嫁に行き遅れる…だったよな」

仔細らしく彼はつぶやき、あごを引く。

「……エリー。人形の片付けは私に」
「だめです。わたしが、明日、片付けますから」

予想だにしなかった悪だくみだ。断固としてエリーは阻止した。
ため息したくなっても、しっかりしてよと言いたくても、そこは我慢。しょんぼりする夫を明るく励ます。

「じゃあ二人目は男の子がいいわね。お嫁にやらなくて済むし、五月のお祝いもできるようになるじゃない?」

ほころぶ笑顔は桃に劣らず可憐であるが、枯れ散ることを知らない。
花には存せぬ強かさを持つ、彼女はできた母だった。