どたばたと階段を下る足音。そろそろ寝ようかという矢先に迫りきた面倒ごとを察知し、風呂上りのディエゴは眉をひそめた。

「ディエゴ!ディエゴー!出た、おばけっ、おばけが出た!」
「夜中に騒ぐなよ」

リビングに飛び込んでくるなりの突進を最小限の動きでかわす。半ばタックルに近かった勢いを余りに余らせ、フローリングにべちゃりとシドは張りついた。

「うぅっ…避けなくてもいいじゃん……」

ふらふら惨めたらしく持ち上げられた顔は、涙と鼻水に濡れている。

「そのツラでくっつこうとしてくるからだ。マニーはもう寝てんだろ?大声出すなって」
「そう!明日早いんだって聞いた。だからここまで降りてきたのは褒めてほしい!部屋に飛び込むとこだったけど我慢した!」
「褒めるか。どこまではた迷惑だ」
「…いやさぁ。そんな冷静に話してるどころじゃなくてね。おばけが出たんだってばっ!」

立ち上がったシドに肩へかけていたタオルを取られた。必死に訴えながらも顔を拭けるあたりが、やはり図太い。その手のものをまるで信じていない、興味すら無いディエゴはあくびをかみ殺す。

「カーテンが動いたんだよ!もぞもぞっと!すげぇ気持ち悪く!」
「見間違いか、風でだろ?」
「見間違いじゃない。窓も開いてない。きっとオレの部屋に幽霊が、」
「おいシド。滅多なこと言うなよ」

即座に鋭く咎められ、シドははっと口をつぐんだ。

「う、ごめん…そんなつもりじゃなかった。マニーには言わない。…でもさぁ、冗談抜きで怖いんだよ〜!
一緒に来てよ〜う!」

いよいよ不恰好に八の字を描く両眉。すがり付かれたディエゴは息を吐いた。

「…判ったよ」

どちらにしろ自室に戻ろうとしていたところだ。ついでに部屋を検めてやること自体は造作もない。
しっかりと上着の背を握りしめてくるシドを伴い二人、ゆっくり階段を昇った。



「ほら、何もいないだろ」

ドアを開け放ち電気もつけず、ぞんざいにディエゴが断言した。室内は暗いが廊下は明るい。チェストやロフトベッド、カーペットに散らかった物品のシルエットは明確に浮かび上がっている。

「もっとよく見てよ。そっち!窓のとこ!」
「窓?だから、別にどうも…」

視線をシドから室内に戻し、ディエゴは語尾を失った。
閉め切られているカーテンがふわりゆらり、無風状態の室内で不自然にうねって、起伏したのだ。

「ぎゃぁああああああー!!??」
「ば……!っで!!?」

絹を裂くような悲鳴。鈍い強打音。パニック状態のシドと至近距離からのタックルを今度こそ避けきれなかったディエゴは、もろとも狭い廊下に倒れこんだ。

「どうした!?シド!ディエゴ?」
「…!マニー!!」

壁一枚隔てただけの場所で起こる騒ぎだ、否応なしに叩き起こされたらしい。
間を置かずすぐさま自室から飛び出してきたマニーは、がくがくと胴震いして自分へ泣きついてきたシドの様子に血相を変えた。

「何があった!?」
「…マ、ニー……お、お、おばけ、が、オレのへや、に、」
「お、おばけ?」

緊張に満ちていた表情が一気に胡散臭げなものになる。
しかし尋常ではないシドたちの様子に口元を引きしめ、マニーは部屋に踏み入り照明のスイッチを押した。光に晒された刺激によるのか、いっそう激しさを増してうごめくカーテン。
一瞬だけ驚きに目を見開き、しかしマニーはためらわず不気味に揺れ動く布地をめくった。

「…は」

こぼれたのは、なんとも微妙な感嘆詞。それ以降言葉のないマニーを不審に思い、その背後からシドはこわごわ窓辺を覗く。目に入ったのは蛍光灯の明かりを浴びて縮こまる、小さないきもの。

「……スクラット」

かけられたのが己の名だと知っているのか定かではない。しかしその小動物はぶらさがっていたカーテンから飛び降り、抱きかかえるどんぐりを守るようにシドたちへぐるんと尾を向けた。

「な、なぁんだもう!おどかすなよー……」
「またこいつ…どこから入りこむんだ?」
「さぁ。こんだけ小さいんだから、どっからでも入ってこれるんじゃないの?せっかくだからやっぱり飼おうかなぁ」

シドの提案を理解できるのか定かではない。しかしスクラットは抱きかかえるどんぐりをそのままに、媚びるような瞳を向けてきた。眼球がこぼれ落ちてしまいそうで怖い。

「バカ。可愛くもないペットなんか二匹も要らない」

言い捨て、マニーは窓をいっぱいに開く。夜気が流れこむ背後を振り向き、スクラットは一目散にちょろちょろ外へ飛び出していった。

「あーあ。なぁマニー、うちでペットなんか飼ってな」
「それより。さっきからそこでうずくまってるディエゴはどうしたんだ、アレのせいじゃないだろこれは。
おいディエゴ、大丈夫か?」
「あれ?ほんとだ、どしたのディエゴ!?平気?」

シドが声をかけるや否や、後頭部を押さえたまま隅にしゃがみこんでいたディエゴがわめいた。

「……どしたの、じゃねえ!お前のせいで頭打ったんだろうがアホ!!」

すさまじい剣幕にたじろいだマニーの前から飛び起き、ディエゴはわざわざシドに蹴りまで食らわせた。よほど痛かったのだろう。

「っっ……ちょ、ほ、本気痛かった今の…マジで蹴ったっしょ!?」
「へえ。俺にマジで蹴り入れてほしかったか?」
(ディエゴ…説得力半減だぞ、涙目で凄んでも……)

ツッコミは胸中に留め置きマニーはすっかり冴えてしまった目をこすった。残された睡眠時間を数えると悲しくなるが、侘しい独り暮らしを思えば安い対価だ。……そうでも考えなければ、到底やっていられない。