濃紺に近い初夏の空。 皮膚に纏わりつく湿り気を帯びた空気と相まり、今夜の表情はどこか官能的だ。 窓を開けたとたんに侵入してきた涼風に目を細め、からからとディエゴは手にしたグラスの氷を揺らした。

この家の、取り分け細いペーブメントを見下ろすベランダで流れる時はひどくゆるやかで、彼はそれを意識するたび何度でも驚きに包まれる。例えばリビングのソファに並んだ花柄のクッションだとか、例えばキッチンの冷蔵庫に貼りついているうさぎのマグネットだとか、この空間の時間を律儀に塞き止めているのはそのような類のものたちではないだろうか。

「電気、つけないのか」

そう結論づけ飲み頃になった水割りに口をつけたとき、風呂上りと思しきマニーが隣に降り立った。

「特に何してるわけでもないからな」

実際部屋の常夜灯と眼下の外灯だけで十分、傍らにいる相手の表情や相手の足元――シドがベランダに用意した二足目のサンダル――までが確認できる。
そうかと目元を綻ばせた、甘い表情に眩暈を覚えた。

「いい風だな」
「ああ」

気持ちよさそうに瞼を閉じたマニーが着ているいかにも「パジャマ」といった風の、前開きの寝巻き。
この家に来たばかりの時からしばしば目にするためおそらくは、彼の家族が健在だった時からのものだろう。妻だった女性が購入した可能性も大いにある。
マニーにとっては何でもない部屋着かも知れないが、ディエゴにはこんな服を着て眠った記憶など全く無い。
この事実一つ取っても自分と彼の歩んできた道はまるで違うものなのだと思い知らされているようで、その寝巻きの格子柄を複雑な想いでディエゴは眺めた。

「ディエゴ?どう…」
「お前もたまには飲めよ」

訝しげにかけられた言葉を、無理に遮る。
ディエゴは浅い琥珀色と小さく融けた氷をさりげなく口に銜んで、冷えたグラスを手すりに乗せた。
違和感はあったはずだ。
しかしマニーは僅かに戸惑いを見せながらも迷うことなく無防備に、置き去りにされたグラスへ手を伸ばす。
漂う香りはボディソープか、シャンプーか。
自分からもこれと同じ匂いがするはずだということが、ディエゴにはひどく不自然なことのように感じられた。



二の腕を掴んだのは、マニーの指先がグラスに触れる直前だった。
強引に引き寄せ肩を抱き、薄く開いた唇を容赦なく大きく、割り込ませた舌でこじ開ける。
至近距離で見開かれた瞳の内。常夜灯が頼りなく輝いていた。

「っぅ……ぁ……!?」

洩らされるくぐもった声も押し入ってくる異物を拒もうとする舌の動きも、ディエゴの情欲を煽り彼をさらに奥深く侵入させる隙にしかなり得ない。
与えられるアルコールを苦しげにマニーが飲み干すまで、滑らかな氷を劣情と両者の口内の温度が融かしきるまで、口づけはひたすらに――マニーにとっては恐ろしく長く――続けられた。



「……酔ってるのか」

ようやく熱い水割りを嚥下しディエゴの腕から開放され、呼吸を整えたマニーの第一声はそれだった。
手すりに押し付けられた腰の辺りに手を当て、視線を合わせたくないのか微かに潤んだ瞳を不自然な方向に向けている。

「さあな」

空とぼけて肩を竦めたが、水割りはごく薄く作った。酔っているはずがない。

「素面でできる行動じゃないだろ」

冷静さを保とうとしているらしいマニーも、さすがに顔の赤らみまでは誤魔化せない。
くつくつと喉を鳴らしてディエゴは笑った。

「そうだな……。それなら」

狭いベランダだ、はっと鋭敏に後ずさりかけた身体を逃がさず、唇の端に残った琥珀色の名残を舐め取ってやる。安物のウイスキーなどより余程それは強くたしかにディエゴを酔わせ、狂わせた。

「もっと試してみるか?俺が酔ってるかどうか、な」

夜はまだ永い。グラスの底の液体は、ほとんど色を失っている。