すがった、よりはかじりついた、の方がより相応しい合皮ソファの肘掛けは汗ですっかり湿っていた。
(今度から、カバーかけとくようにしようかな)
大して余裕もないのにそんなことを考えるのは、きっとローションが立てる大げさな水音から少しでも意識を外したいから。

「…もう、いいから、さぁ……!」

せがんでも簡単には聞き入れてもらえない。なだめるように耳の後ろへ口づけられるが、気持ちはむしろ急き立つばかりだ。体を合わせるとき、いつもマニーはまだるっこしいほど丁寧に丁寧に手順を踏む。決して意地悪く焦らされているのではない、労られているからだと頭では理解していても、理性を持たない体の方はどうしたってもどかしがる。
ぶっちゃけ。そんな気遣いをしながら回を重ねるごとに確実に着実に上手くなっているマニーの底知れなさも、真実シドには腹立たしかった。

「…ね、ぇ」
「……ん」

さすがにそろそろかな、という頃合い。声をかければすぐさま律儀に手を止める。
「やめてほしければやめる」初めのうちはしつこいほどくり返された言葉が胸をよぎった。どうしてこうまで自制しようとするのか理性的であるのか、シドには未だ理解できない。

「たまにはオレ、上になりたい」

きっぱり言い放ち、有無を言わせず体を起こす。

「なに?…!?」

身構える時間すら与えなかったのが功を奏した。体当たりの勢いで抱きついたのもあり、不意打ちでなくしては有り得ない容易さでマニーはバランスを崩す。口八丁が得意なシドが突如力押しに出る事態も想定外だったのだろう。
入れ違いにソファへ押し込んだ膝に、すかさずまたがる。

「……シド!?どけ!」
「やだ。てかさぁ、人だけすっぱだかにしといて体位も決めさせてくれないって、無いんじゃないの」

こっちの服はご丁寧に脱がせてくれるマニー自身は必要最低限しか衣服を脱ぎたがらない。そういうところも非常に不満。

「…体位とか言うな。こっちの意向はどうなる」
「……嫌なわけ?」

近い位置になった進まぬ顔に、早くも気持ちは折れそうになる。萎えたからここで打ち切りなんて展開になってしまったら本末転倒だと、今さらながら考えが及んだ。

「そういう意味じゃ、ない」
「じゃあ何でだよ?」
「言わないと判らないのか?」
「わかんないよ」

人情の機微には敏感なほうじゃないし、第一最低限の言葉にもせず気持ちを推し量ってほしがるなんてわがままも甚だしいんじゃないか。
問い詰めれば背もたれに深く寄りかかるようにしてマニーの顔はそむけられた。この体勢であたうかぎり、互いの上半身が離れたかたち。言いよどんでいる返事を聞き逃すまいと、シドはおしゃべりな口を今だけは噤んだ。

「………お前に、そんなこと、させたくないんだ」

ぽつり零した相手の横顔。意味を把握するまでしばしの沈黙があり、それを頭で噛み砕くにつれ負けず劣らず自分の顔までが赤くなっていくのを感じる。
〜〜だからさぁ!何でこんなときばっかりこう――!?
本当にじれったくてしょうがない。

「でも。オレはしたいんだって」

欲心を抑えることなく唇を合わせた。技巧など気にしない。やりたいように舌を深く差し入れ、歯並びが綺麗なとこは好きだな、なんてことを遠慮なくシドは思う。くっつきかけた上半身を一瞬押し返されそうになったがその動きは果たされず、宙を彷徨ったマニーの片手はやんわり腰を撫でるだけで落ち着く。幾度も角度を変えてキスを交わしながら膝の上から腰のあたりへ、シドはマニーの体をいざり上がった。
下半身で確かめた相手のそこもそれなりに反応していたのでこっそりほっとする。ラウンジウェアのズボンに指をかけると正気づいたのか、口づけはあっさり中断された。

「どこっ…おい、触るな!」
「いやいや触んなきゃ出せないし入れらんないし」
「……言い方を考えろ。頼むから」

露骨な表現を嫌うのは知っている。リアリストの自分やディエゴとは正反対。意外にロマンチストだよな、と脱力したマニーを笑ってしまう。

「そういうとこも、好きだよ」

さんざん慣らしてくれたおかげか、無理のある体勢から想像したよりはスムーズに受け入れることができている。もう手を添える必要がなくなった程度を見計らい、腰を落とす動きをいったん休めた。

「っふ…ちょい、待って」

柔く不安定なソファの座面では、両膝を支えるのがそろそろ辛い。しかしこちらの好きに任せてくれているマニーにはそうと知られたくないので平静を装った。
見下ろせる位置になった双眸の、鳶色が深まる。

「…きついんだろ」
「へ?ううん、ちが……あ!?」

不意にゆすり上げられ、下腹を形に沿ってなぞられた。前後からの強すぎる刺激に悲鳴じみた嬌声がもれる。腰へ当てられていた方の手は背中に回り、ゆっくりと注意深く抱き寄せられた。

「あっん、うぁ…」
「っ…ここ、いいのか」
「ん、うんっ、いい……!」

ただでさえ腰を浮かせた状態でも普段と違う部分に当たるのが気持ちよくて、苦しいくらいだったのに。
膝を支える必要が消え、ずぶずぶと沈み込む自重までが乗っては、もう我慢できるはずがない。

「ま、にー、ね…も、イき、そ」
「……は、シド」
「あ、待って。ストップ!」

動きを激しくされる前に急ブレーキをかけた。
出はなをくじかれ驚きと呆れと心配が入りまじったようなマニーの表情を笑い、機嫌をとるように軽いキスをしてやる。

「もーちょい、このままでいたい。だからさ、まだ動かないでね」

擦りつけるようにして肩口に額をのせ、はじめて薄く汗ばむ首すじを知った。相手も自分と変わらない状態なのだと実感できた安心や体がなじんだ心地よさ、お預けを食らって不満げなしかめ面を、シドはたっぷり溜飲が下がるまで堪能した。



終わってからは余情を味わう隙もなく後始末をされダイニングチェアに放りかけていたお気に入りのパーカーを被せられ。それでもシドがソファでぼうっとしているあいだに、マニーはさっさとシャワーまで浴びてきた。

「お前、まだそんなとこにいたのか」

すっかりいつも通りの態度で冷蔵庫に向かう背中。特有の倦怠感のせいもあり、シドはすこし不機嫌になってむくれる。

「なーマニー!なんかさ、事後のフォローとか、ないの?」
「フォロー?…たとえばどんな」
「たとえば?そーだなぁ、『今夜は素敵だったよ……』って優しくささやくとか、いてっっ!?」

ぼこん。鈍い音を立てて、半分ほど中身の入ったペットボトルが頭頂部に落とされた。

「そんなわざとらしいこと言えるか」

潤った喉を使ってマニーは言い切る。そりゃあ冗談ではあるけど、照れてすらくれないってことは全くやる気がないってことで、ちょっと淋しい。差し出されたグラスを受け取りミネラルウォーターを注いでもらいつつも、シドは口を尖らせる。

「いつもはこうやって乱暴なのにさ、ヤってるときだけ優しいんだもん。…どうせならそういう時にもっとさぁ、……え?なに?」

無言で凝視され、またぶたれるのかとつい構えたが。

「シド。お前、要は手荒にされたいわけか?」

マニーはこの手の冗談を好まない。極めて真面目に真顔で問われ、シドはひどく動揺した。動揺する自分に気づいて何でだよどうしてだよとまたさらに動揺が深まる、まさしく絵に描いたような悪循環。

「…っな、なにそれ!?やらしー!やらしー!オレをめちゃくちゃにしたいだなんて!」
「言ってない。かすってもない。なんだその自意識過剰ってレベルじゃない解釈は」

こうなってはこの動揺を悟られる前に、一秒でも早くイニシアティブを奪い返すしかない。
羽織るにとどめていたパーカーの前をわざとがましく合わせて叫ぶシドの意図も知らず、マニーは冷めた様子で眉をひそめてキッチンへとペットボトルを戻しに行く。

「――…人の気も知らないで」

シドはシドで、疲れたように独りごちるマニーを知る由もなかった。