聴診器に注射器に金属製の手錠、一見普通に思われた黒のアイマスクはなんちゃってレザー製。平和な一般家庭にあるまじき品々が乱雑に、よりにもよって我が家のダイニングテーブルに広げられている。 「……どこから湧いた。これは」 もれ出た呟きはひび割れた。 「シドが持ってきた。バイト先でもらったらしいぜ」 現在シドが日中働いているのは、有り体に言えば雑貨屋だ。ちゃらんぽらんだがしまり屋という褒めどころに困るような店主が経営している。従業員はシドの他に一人しかいない小さな店。マニーたちも何度か訪れているのだが、商品が雑多であり雑然としすぎてわけが判らないというのが大まかな感想だった。 あっちにダイエット用の健康器具が置いてあるかと思えばそっちに災害対策用の泥水を真水に変えるとかいう触れ込みのストローが並び、最近ではシドの趣味を反映してレトロな懐古系キャラクターグッズなどまで売り出している。しいて売品の共通項を挙げるならば、「うさんくさい」の一言に尽きた。 そんな事情により目の前にある怪しい物々も、売られていたときの区分はバラエティグッズなのか大人のおもちゃなのか。判別が難しい。前者ならともかく後者なら大きな問題だ、首をひねったマニーの目に、小さな紙の袋が留まる。 「ん。これは何が入ってるんだ?」 中身を取り出しても、一目では知識に理解が追いつかなかった。 黙りこくってマニーがそのパッケージを凝視する横で、ディエゴの方は好奇と不安を持て余し息を呑む。 「……なんだ。これは」 「ハンディマッサージ機、だってよ。名目上は」 「なるほどな〜バイブレーション機能搭載防水加工付きでお風呂の中でもリラックスできちゃうすぐれもの♪ってアホかぁぁぁぁ!!」 「…テンパるとすげぇ面白くなるよな。お前」 床に叩きつけられたハンディマッサージ機なるものを目で追い冷静に感想を述べる。対照的に、マニーの ヒートアップはとまらない。 「聴診器まではいいがこれは見過ごせない…こんないかがわしい店で働いてるのかシドは!?どこまでろくでなしだあの店主は!辞めさせる!今すぐ私が店に連絡してやる!止めるなよディエゴ!!邪魔するならお前も敵とみなすからな!!」 「みなすな。待てよ」 勢い込んで電話機に向かおうとする肩をディエゴは掴む。 まるでシドが無理やり店で働かされているような憤り方だが、とんでもない。これらのグッズ一式をテーブルに広げる際、奴はいかにそれらの取り扱いをやめるのが惜しいかを延々しゃべり立てていた。 「キレイなおねえさんが一人で買ってったときにはドキドキしちゃったー」だの「いっそアダルトグッズ専門店にしようって言ったら叱られたー」だの。 「だから止めるなって…!」 睨んでくるまなざしは厳しいが、手を振り払われはしなかった。 非力だが図太くて、マニーなどより余程したたか。シドはそういうやつなのだ。 それをマニーは判っていない。どこまでも非力な人間の保護者でありたがっている。ディエゴには、それが厄介でならない。 「考えてもみろ。あのおっさんがロハでシドにやったんだぜ?それだけ客の需要が無かったんだよ。こういうモノは売れない健全な店なんだ、あそこは。取り扱いは終了らしい」 「……そう、なのか」 「そう。幸い店主は相変わらずペテン師まがいの変人で、店の路線変更はする気なしだと。…どうだ?これで安心か?」 「え、う…ああ。……取り乱しすぎた」 我を思い出してくれたようで、力の抜けた肩を放す。 戻ってきた静けさにほっとする反面、この愚直なまでの善良さを自覚していないマニーには改めて苛立ちを覚えていた。シドのことは心配するなと言ってやっても、心配なんかしてないと返されるのがいつもの落ちだ。 マニーは自分を曲げない。だからこそ危うい。放っておけない。かき乱したくはないとも、引っかき回してやりたいとも思う。 ――逃げるものは追いたくなるんだよな。 お互い、面倒な性分だ。 「で?どれがいい?」 「どれ?」 ふらふらとダイニングチェアに座ったマニーへ、ディエゴは口角を上げてみせる。当然のごとく指し示すのは目前にあるテーブルの上。 「有効活用しろってお達しだ」 「…シドが?……これを?」 「こっちがあいつに甘えるのも、たまにはいいだろ?マンネリは敵だしな」 元同僚に度々エグい品々を見せびらかされたディエゴの目には、その通り玩具のような生温さを感じてしまうエッセンスではあるが。 かといってディエゴ基準で「生ぬるくない」物々を持ち出して誘ったりしたら、マニーには絶縁までされかねない。それ以前にディエゴにだってそれほどハードな趣味はない。マンネリズム回避が目的ならば、やはりこの程度が妥当であろう。 アイマスクと同じくチープなビニール素材の首輪を見つけ、掲げてやる。 「これに縄つけて縛っといてやろうか?嫌いじゃねえよな」 「悪いが。私にそんな倒錯嗜好はない」 …嘘つけ。唇を動かさずに呟いた。 嫌いじゃないどころか、他人に縛られてなきゃ自分が生きる意味すら見出せないタイプだマニーは。 「俺にはあるって言ったら?」 首輪の留め金を、これ見よがしに外す。戸惑う様を見て冷やかしてやるつもりだった。けれどマニーは深刻な顔をしただけで、ディエゴをけなすこともしない。突如リビングに沈黙が落ちる。 「お、おい?マニー?」 返事すらできないほどとは本気で引かれたか。冗談だと付け足すより早く、押し殺すような声が聞こえた。 「…マンネリだと、思ってたのか……?」 不安げにも哀しげにも聞こえた、その言葉。ディエゴには大いなる衝撃であり、即座に答えを返せなかった。それを肯定に取ったのだろう、きまり悪そうに逸らされた視線。 そうだ。頑丈ぶっているがこの男は意外にもろい。 「――あのな。食いついてほしいのはそこじゃねえ。…物は言いようだろ」 安っぽい首輪を机上に戻し、マニーの隣の椅子を引く。そこに腰を落ち着けたディエゴはかすかに目元をゆるめ、空いた右手をぽんと茶色い髪の上に置いた。 「こういうのは安定、っていうんだよ」 ささやき聞かせると伏せがちになっていたまぶたが上がる。大きくしばたいて自分だけを映す瞳を、満足げに覗きこんだ。 「……安定」 「ああ。でな。正直なところ、俺はそいつに憧れてた」 梳くように片手を後頭部へすべらせ、そこに力をこめる。わずかに傾いだマニーの顔に、自分のそれを近づけていく。 「お前――。…シドに似てきたな」 互いの鼻先が触れ合うか、触れ合わないか。そんな所でディエゴの動作を抑止したのは、雰囲気にそぐわぬセリフだった。 「な……に?」 「いや、えらく口が回るようになった」 「この期に及んでまだその名前を出すか……っつうか。狙ってやってんなら相当なもんだぞそれ」 苦々しく言ったディエゴをマニーは微笑う。 「気が乗らない時にはいい手だな。たまにはあいつも役に立つ」 「気が乗らない」はぐさりと心に突き刺さった。ディエゴが送る恨めしげな視線から逃れるかのように、マニーは椅子から立ち上がる。 「着替えてくる、夕飯食べに行こう。何がいい?」 「まかせる。食いたいものには逃げられたとこなんでな」 このくらいの嫌味は許されるだろう。ディエゴはテーブルに片ひじをつき脚を組んだ。なげやりなその言動に、しばしマニーは眉をひそめ、何を思ったか廊下へと出しかけた踵を返す。 「ディエゴ」 不意にシャツの襟首を両手で掴まれ、次の瞬間には口づけられた。濡れた舌がちらりと唇を撫でたがそれだけで、あとは触れ合うのみの淡白なキス。あっさりしたものだ。けれど屈めていた上半身を起こしたとき、マニーの目尻はうす赤くなっていた。 「――…まだ、安定には遠いか?」 「うるさい」 マンネリだなんて感じられる気がしない。少なくともこういう顔を、自分にだけ見せてくれるのであれば。 |