危なっかしくて目が離せない。
呟きため息する親友を見たのは二度や三度ではない。それどころか両手の指を使っても到底足りない。
「そういうとこも好きなんでしょ」との指摘を本人は否定していたが、事実その通りなのだろうとディエゴも思う。
――まあ。好奇心の旺盛さや自由奔放さは彼女の美点だ。まともな危機感に沿った上での言動ならば、封じてしまうことはない。……そう、まともな危機感に沿った上でのものならば。


薄暮れた駅前の喧騒。淡い闇に覆われ見逃しかねないその光景を、しかし目に留めてしまった己の視力をひそかにディエゴは恨んだ。待ち合わせ場所には絶好である石造りの噴水、その横にエリーが佇んでいるのはいい。彼女の待ち人はマニーのはずだ。二人がこの最寄駅で待ち合わせて買い物をしたのちエリーが我が家で手料理を振舞う、というのは定番のコースになっている。
よくないのはエリーが一人でないことだった。傍らに見知らぬ若い男がいる。この近辺に自分たち以外、彼女の友人知人がいるなんて話しは聞いたことがなく。つまりはナンパかキャッチの類か。
普通に会話を交わしている様子なのは気になるが、上手くあしらえずに嫌々相手をしている可能性を考えればとても無視して行き過ぎるわけにはいかない。大またでディエゴが近寄るさなかも男がエリーの手を握る。
決定打だった。

「おい」

一発殴りつけてやりたい衝動をぐっとこらえて声を出す。つられてこちらを向いた二対の目が同時に見開かれた。

「ディエゴ!」
「え……カレシ?」

朗らかに親しげな笑みを咲かせたエリー。すくみ上がった優男。再度沸き立った蹴りでも入れてやりたい衝動を、ディエゴは代わりに眼光と声へ乗せた。

「うせろ」

言うまでもなく男は目前から姿を消していた。エリーまで怖がらせてしまったのではないか、はたと思い至ったが杞憂らしい。胸の前で手を組み、彼女は歓声を上げる。

「すごーい!ディエゴ、強くてかっこいい悪役レスラーみたいっ!!」

ヒーロー扱いなのかヒール呼ばわりなのか。この手の愉快な物言いには慣れっこだ。ディエゴは苦笑いして礼を述べておいた。

「マニーと待ち合わせなんだろ?」
「そう。ちょっと遅れるってメールがあって」
「あいつが?珍しいな……なら、どこかに入って待ってたらどうだ。またああいうのが寄ってくるかもしれない」
「うーん…でも、十分くらいっていうから。話し相手ができるのは楽しいし」
「は、話し相手?」

エリーは頷く。

「適当にはい、はい、って返事してたらね。いつの間にかわたし、レストランで働いてることになっちゃってた。メールアドレスは教えなかったけどね。もちろん」

危なっかしくて目が離せない――ため息するマニーの姿が目に浮かぶ。…今のを聞いたのが、せめて自分でよかった。
軽い眩暈を覚えながらディエゴは頭上の公衆時計を確かめる。マニーは時間にも几帳面だから、十分というならそれより遅れることはない。到着まで側にいてやる選択が最良のようだ。

「ディエゴもこれから帰るの?夕飯一緒に食べられる?」
「悪い、これから仕事だ。俺の分があるなら残しといてくれれば嬉しいけどな」
「それなら大丈夫。ちゃんと多めに作るから!」

終始笑顔を絶やさない彼女にはどうも調子が狂う。
心地が悪いのではなくもっと根本的な、図らずも立ち入り禁止区域に迷い込んでしまったかのような、後ろめたさ。そして――片腕に、何かが巻きついた感触。

「……は?」

見下ろし、ディエゴは顔を強張らせた。エリーが腕に抱きついている。外から見れば腕を組んでいる状態、こいびと同士がするように。なぜだどうしておとなしくしていてくれないんだ。

「エリー?ど、どうした?」
「ディエゴ、マニーと似た匂いがする。洋服かな」
「あぁ、そうかもな…。い、いやそうじゃないそれどころじゃなくてだな、」
「マニーね。外で腕組もうとすると嫌がるの。恥ずかしいみたいで。やーっと最近、手は繋いでくれるようになった」

……おもしろすぎることを聞いてしまった。シドなどの耳に入れば最後、むこう半年はいいネタにされ続けるに違いない。しかし今のディエゴの場合、それどころじゃなかった。放してくれともはっきり言えないのが参る、そう角の立つあしらいはできないのだ。

判りやすく表面に出すことは少ないようだがあの男にも人並みの嫉妬心くらい存在するのはよく知っている。こんな現場を見られたらどうなるか。どう考えても不興を買う。いくら一方的にくっつかれているだけでも、そんなことは関係ない。起こるのは大惨事、その先にあるのは修羅場か地獄か。
腰だけは完全に引けていた。閉口しきって冷や汗をかくディエゴをよそにエリーが笑い声を発したのは、お約束というものだろう。

「あ、マニー!おかえりなさいっ」
「――…!!?」

全身が総毛立つ。穴があったら入りたい、縄があったら括りたい。背後へ着いた人影に、とても顔が向けられない。いろいろな意味で誰よりも敵に回したくない相手だ。はたしてどう言い繕ったものか。
迷走に迷走を重ねてこんがらかるディエゴの意識を引き戻したのはひどく意外な、穏やかに苦笑をまじえた声だった。

「エリー。そいつを放してやってくれないか。たぶん、ひどい顔してる」
「…え?わっ?ディエゴ!?大丈夫?」

解放されても安堵は無い。残った大きな虚脱感を押して振り向く。優しげに恋人へ微笑みかけるマニーが目先に居た。その表情は、嫉妬心に駆られる男のそれではない。

「驚いたな。どうして二人で?」
「ああ、ディエゴはこれから仕事なんだけどね、わたしに声かけてきた男の人を追い払ってくれたの。マニーにも見せたかったな。すごい迫力だったんだから」
「…なるほど。次からここで待ち合わせは無しだな。ディエゴ、助かった」
「あ?あ、あぁいや。………マニー。お前、さっきの……どうとも思わなかった、のか」

気が抜けたついでにばっさり訊ねた。今だって「声かけてきた男の人」というワードで瞬時に苛立ちを眉間に刻むのが見えたのだ。それともまさか、後に厳しく事情聴取をするもりなのだろうか。もしくは一足飛びに家を追い出されるとか。そうならそうで覚悟をしておきたい。
ディエゴの問いにそろって首を傾げた二人だが、マニーの方はすぐに彼の言わんとすることを察したらしく。

「どうって、お前相手に?まさか」

あっさり答え、思い出したようにくすりと含み笑いをする。

「なぁエリー。前にディエゴのこと、何て言った?何かになってほしいって」
「ディエゴのこと?……ああ、お兄ちゃんだったらいいなぁって」

無邪気に笑いかけられ、ディエゴは面食らう。楽しげに言葉を交わすエリーたちに、開いた口が塞がらない。

「手のかかる弟がいるからやっぱり憧れるのよね。頼りになるお姉ちゃんか、お兄ちゃん」
「なら、そう呼ばせてもらえばいいんじゃないか。ディエゴのこと」

とんでもない爆弾を小気味よさそうにマニーは投下した。
冷やかされているにすぎないけれど実行に移しかねない。この娘なら。

「…勘弁してくれ……」

おかしそうに肩を揺らす恋人と、ぐったりうな垂れるその親友とを、瞬きしてエリーは見比べるのだった。