(リクエスト:ディエマニ前提でマニー総受け・ディエゴやきもちで最後あまあま より) 職場のデスクでうたた寝しそうになったほど本日は一日中眠かった。ジャケットにブラシをかけ終え、ふわとマニーはあくびをもらす。 スーツの手入れは着替えの際に習慣づけていることなので苦じゃないが、こんなときは億劫だ。ジャケット以外はさぼってしまいたい気もする。けれどこの三つ揃えには愛着があった。思案しながらベッドに座りこむ。 ディエゴが帰宅しだい夕飯だから、寝てしまってはいけない。二度目のあくびをかみ殺してネクタイを取り去り、ぼやぼやとベストのボタンを外していく。 どうやっても晴れずにいた眠気はしかし突如として、平手打ちされたような衝撃に砕けた。 「わっ!!」 瞬間的には、それが誰かも分からなかった。あまりに距離が近すぎて。 目の前も目の前。まつげが触れ合いそうな所ににゅうと現れたのは、ここに居ていいはずのない顔だった。 「っわあああぁ!!?」 マニーは文字通り跳びあがった。高速で後ずさったが、あいにく場は広くもないベッドである。すぐさま壁に行く手をはばまれた。 「ははははは!大成功だな!びっくりしたか?」 腰に手を当て呵々大笑した眼帯男。すっかり覚醒したはずなのに、まるで悪夢を見ているようだ。 「あああんた、なんだ!?なんで私の家に、部屋に」 「どしたのマニー!…うわ、バック!?」 「いい酒が手に入ったんで持ってきてやった。晩メシこれからだろ?俺も食ってっていい?」 駆けつけたシドも闖入者を見るなりぎょっとした。 わかりやすい怒りの矛先が現れたことで、混迷を極めていたマニーもやや正気を取り戻す。 「シド!おまえの仕業か!?不審者を!家に!入れるな!」 「ち、違うよ!オイラが入れたんじゃないよ」 「そうだぜ、怒ってやるなよ。シドが入れたんじゃねえ。俺がこっそり入ってきたんだ」 何故か誇らしげにバックが胸を張った。 「…………」 間違いなく、玄関の鍵は閉めていた。部屋のドアも開けっぱなしにはしていなかった。音もなく忍び寄られていた事情に関しては、あえて追及したくなかった。 「……どっちにする。住居侵入罪で訴えられるのと、明日の燃えるゴミに出されるのと」 「おいおい、ちっと楽しませてやっただけだろ?なんか会うと毎回カリカリしてんだもんな。おまえ」 「んーそうか?そうだな。不思議だよなぁ。どうしてだろうなあ?」 「あー…。カルシウムが足りてねえから?」 「あんたに!会ったからだよ!」 バックは大らかに笑っている。例によって悪気はまったくないらしい。息切れしかけのマニーに代わり、シドがふくれて要求した。 「家に来るのもメシ食べてくのもいいけどさ。マニー、着替え中だったんでしょ?のぞきみたいなことしないでよね」 ボタンもかけずだらしなく着用されたベストと、ネクタイなしに襟元のゆるんだワイシャツ。なんとも中途半端な姿である。更衣の最中であったのは一目瞭然のようだ。 スラックスを脱いでいなかった点においてマニーは密かに安堵していた。 「のぞきとは違うだろ……。のぞいて楽しいもんでもないだろ」 「そうかな。オイラだったら楽しいよ?」 「いや、楽しまなくていい」 おきまりの不毛なやりとりをしている隙に、バックは布団を寄せてスペースを空け、我が物顔でベッドにあぐらをかいてきた。勝手に座るなという叫びも意に介さず、あっけらかんと問うてくる。 「マニーよお。おまえらって、デキてんのか?」 前触れのない「できてる」の意味を発言者以外が理解するまで時間がかかった。 先んじたシドの声をかき消し、マニーが慌てふためいて否定する。 「でっ、できてない!そんなんじゃないぞ私たちは!?ディエゴは仲間で!同居人で!」 「ああ?そっちじゃなくて、シドとだよ」 「へ……?シド?」 「えっへへ、やだなぁやっぱそう見える?」 相好を崩したシドだがあっさり首を横に振った。 「でも、オレとじゃないんだよね」 「ふうん。シドとじゃなくて、か」 「そー。残念ながら。ディエゴ本人から聞いてなかったんだ?」 「シド!」 自身のやぶへび発言を裏づけされ、マニーの頬にかっと朱がさす。 「マニーと知り合ったのだってオレの方が早かったのに、誰かさんにぬけがけされちゃってさ。さっさと既成事実を作っとくんだったよ」 ぼやきを聞いたバックは、腕組みしてうなずいた。 「あいつとなぁ。そりゃ残念だな。マニーのこと、俺も狙ってたんだけどな」 「はあ?」 聞き流しがたい放言である。マニーは胡乱な目つきをシドからずらした。 「えぇえ?オイラそんなの初耳!なにそれ!?そうなの!?」 「シド。真面目に受け取るな。…冗談のつもりだろうが、不気味なんだよ。たまには笑えることでも言ってみろ」 「つれないねぇ。意外ともてるんだぜ俺?女にも男にも」 「それが万一おまえの勘違い妄想幻覚、その他のたぐいじゃないんなら、どうぞその悪趣味な女にでも男にでも相手をしてもらってこい。それならお互いのためになる」 冷然と諭され、バックは肩を下げてみせる。 「分かってねぇなー。あのな?しっぽ振って自分からついてくるような連中じゃ、面白くもなんともないだろうが」 「おもしろくない?」 「だから。俺としちゃマニーみたいなやつの方が楽しめるんだよ。なんて言やいいかなぁ。……乗りこなしたくなる。手懐け、しつけ…。ううん。調教しがいがありそうだ」 「……ちょう…………」 ぞわぞわぞわっとマニーが骨の髄から怖気をふるったのが、シドからも見て取れた。 「なっ、なんだその気色悪い言いかた!?やめろ!おぞましい!」 「そうそう、こういうのだよ。なんならまた俺に泣きつくか?これから既成事実作りってのも」 「するか!いちいち顔を近づけてくるなバカ!アホ!ボケ!のたれ死ね!」 「そうだよバック!くっつくなよー!マニーはオレのだもん!」 口が悪くとも口汚くはないマニーのはずであったのだが。 壁に手をついたバックに迫られ、ついに嫌味を言い募らせる余裕もなくした。並べたてられる罵詈雑言に加わり、シドまでマニーに抱きつき割りこんでくるものだから、にわかに室内は騒然となった。 そんな混沌を何かが真一文字に切り裂いたのだ。 ぴったりマニーとバックの顔間を抜け、壁にぶち当たった未確認飛行物体。 落下したそれを熟視すればどうということもない。ただのスリッパである。 飛んできた方向は部屋の入り口――マニーとシドは、わめくのをやめた。バックのみ陽気に手を挙げる。 「おかえりぃ。真打ち登場か!」 「……バック」 ディエゴがぶらつかせた利き足には、その片方だけ室内履きがない。スリッパが蹴り飛ばされたのは自明の理だった。 「楽しそうだな。あんたが誰をしつけるって?」 ぎらつく瞳が室内を睥睨する。 こう殺気立っているディエゴは長らく見ていなかった。シドですら迫力に怯んでマニーへさらにすり寄ったのだが、間髪をいれずディエゴによって引きはがされ、ベッドから放り落とされてしまう。 「ベタベタひっつくなって言ってんだろうが。黙って聞いてりゃあ…。マニーがおまえのだと?」 「だってだってだってバックが!なんだよーディエゴこそ、自分だけのもんみたいに言っちゃって!?ひとりじめ禁止!」 足元でばたつくシドを見下し、ディエゴは平然と言いきった。 「こいつは俺のもんなんだよ、実際に。独占して当然だろ」 「ばっ」 「そういうことなんでな?バック。あんたも早くそこからどけ。そいつに触るな」 「んー。そうだなぁ。やだって言ったら?」 「いいい、いいかげんにしろばか!私がどく!こいつがいやなら私が!」 幾重にも渡って恥の上に恥を塗り重ねられている現状を打破すべく、マニーは自ら動かんとした。だが、だしぬけに強くみぞおちを突かれる。 「!?」 腰を浮かせたタイミングが災いし、容易にバランスをくずした上から両肩を押さえこまれた。寄せられてあった布団に背中が沈む。 「まぁ待てよ。おまえが逃げちまったんじゃつまらねえだろ」 妙にたやすく押し倒されたことへの当惑と、耳打ちされた嫌悪感とで血の気が引いた。 楽しんでるのはあんただけだ。スリルを追い求めるのは勝手だが、この家以外の場所でやれ。私たちを巻き込むな――! バックへ主張したい事項はいくらでもあるのに、頭と口がスムーズに連動してくれない。これはバックのせいではない。そんなものより、そいつのむこうに見えるディエゴが。 「ほんとにおまえら付き合ってんのか?そういう風にゃ見えなかったな。証拠とかねぇの?」 ディエゴをふり仰いで朗笑するバック――ディエゴは、笑っていなかった。発する重圧が凄まじい。 これはあれだ、ブチギレモードだ。 シドはちゃっかり部屋の角へ待避モードに切り替わっていて頼りにならない。これ以上のごたごたはごめんだった。 「お、おいディエゴ?」 からかわれてるんだぞ、相手にするな、と。こちらが言われたことがあるように怒りをなだめてやって、あとはバックを押しのける。そうして穏便に、マニーは事態を収めようとした。 しかしながら、ディエゴはその平和的解決策を良しとしなかったのだ。 目にも留まらぬ素早さだった。 バックのベルトから逆手に抜き払ったナイフを、横薙ぎに一閃。 虚空が鋭く、両断された。 「……あっ…ぶねぇ、なぁ、おい」 紙一重で身をかわしたからよかったものの、マニーにのしかかったままの体勢でいたならかすり傷では済まなかっただろう。 さすがのバックもたじろいだ様子で、己を擦過していった刃を横目にする。 腰に備えたナイフケースはからっぽであるのだが、それに触れた仕草は無意識のものか。 他ならぬ自身の守り刀に牙をむかれたのだ。冷や汗をかくのも無理なかった。 「あんたがやだって言ったら、腕ずくだ。行儀いいケリのつけ方は知らないんで、こいつにちょっかい出すなら覚悟してくれ」 バックを切り裂きかねない軌道でナイフを振りぬいたディエゴに、果たしてどれほどまで真剣な害意があったのだろう。 定かではないがただの脅かしにしろ、その脅威は先のスリッパなど比較にもならないことは明らかである。 「へえぇ。ナマクラになっちまったんじゃなかったのか。おまえ」 止められなかったマニーや、ましてとっさに目を覆ってしまったシドとは違う。凶刃におびやかされた被害者の立場にも関わらず、バックはすでに飄々とした態度を取り戻していた。 それにしても右側から見た横顔では、この男は表情が捉えにくい。そんなことにマニーはふと気づく。 「……マニー、来い」 バックが上からいなくなったことは意識外にあった。もはや状況に取り残されていたマニーだが、お呼びがかかったことで我に返る。 急ぎ追いこまれていた壁際から離れてベッドサイドにおりれば、交換するようにディエゴが抜き身のナイフを放り投げた。バックは器用にも空中でグリップをつかみ取り、ベルトの鞘へさし直す。 「んなムキになるとは思わなかったよ。飽きねぇなぁ、おまえらは」 満足したように笑って広々したシーツに寝そべるバックを、マニーは心底から恨んだ。恨むだけでおさまるわけもない。一喝するため深く息を吸った、けれどそばから二の腕をつかまれ、せっかくの勢いをそがれてしまう。 「まだバックに構う気か?」 「ディエゴ…?お、おまえもな!どういうつもりだ?家の中で刃物を振り回すなよ!いくらなんでも限度を超えてるぞ!」 「体が勝手に動いた。……多分あんたが思ってる以上に、俺は我慢強くない」 うなじにディエゴの片手が触れた。 イレギュラーの連続で判断力がくたびれきっている。もうどうにでもしてくれと、あらゆるものを投げやりたくなった。投げやるべきなのかもしれなかった。今このとき、部屋に自分たちが、ふたりっきりの状態であったなら。 「落ち着け。近い。おまえの言い分は、わかった。わかったから、離れろ!」 まだ部屋から出て行った人間はいないのであり、つまりすぐそばに見物人二名がいるのであり。にやつき顔のバックにも白け顔のシドにも言いたいことは山とあるが、そいつらの存在を忘れたわけでもあるまいに、まるで頓着しないディエゴに最も辟易する。 「そいつらはよくて、俺とは離れたいのかよ?」 文句まで口にするディエゴは、どうも今回様子がおかしい。 「……あのなぁディエゴ。おまえ、妬いてるみたいだぞ?こいつらに」 マニーは軽い苦笑すら浮かべた。他は違った。不自然な間があり、 「えぇと。マニー?『みたい』って……?」 代表してシドがぼそりと復唱する。 「だから。ディエゴのカラーじゃないだろう、そういうの。あまり格好いいもんじゃないからな。ダサいの嫌だろ?おまえ」 冷淡なばかりじゃない。人並みに激情も持ちあわせているやつだと知っているが、ディエゴが自分のためにそう気持ちを揺らすとは、マニーには考えられなかった。焦って迷って動揺して、余裕をなくすのはいつでもこちらばかりなのだ。 それにまず、ディエゴとバックでは同じ土俵に立ってもいないのだから比較対象にもならない。嫉妬なんかする必要がない。……そういった心中を言い聞かせてやらなかったのは、マニーにとって致命的なミスだった。 「……悪かったな。ダサくて」 目元をわずかに赤らませてディエゴが何やらをつぶやいたけれどもよく聞き取れなかった。シドが憫笑しているようなのも気にかかる。 「なんだよ?」 「いいや。…なぁ、バック。あんたの言ってた、証拠だけどな」 「証拠?お、ほんとにおまえらがデキてんのかってやつな?」 「ああ。簡単に見せてやれんの、思い出した」 マニーを流し見たその眼光。その険悪さから、ついさっきはバックへ向けられた害意が狙いを変えたことをマニーは悟る。 身構えるのとほぼ同時に胸倉をつかまれた。 ――キスされる?! 見当違いの読みではなかっただろうが、体を引いたのは早計だった。 まだ閉じていた第三ボタンをはずし、ディエゴは前立ての片側にだけ手をかける。マニーがのけ反った動きも手伝い、ワイシャツの合わせ目が大きくはだけた。 「…………!」 「…………?」 シドもバックもこちらを凝視している。浴びているのはどういった視線か。単純な驚きとも違う気がする。戸惑いながら見やれば、ディエゴは小気味よさそうに笑っていた。 種明かしだとばかり、横からご丁寧に指で示してくれたものは。 「これつけたの、俺」 ――鎖骨から胸骨に沿いマニーの肌に点々と残った、内出血の跡だった。 「……――〜〜ッッッ!?!?」 灯台下暗し。見えていなかったのが自分ひとりのはずだ。 視界が真っ白になる。 シド以外の人間には知られたくなかったのに。よりによってこんなやつに。こうしてキスマークを晒されるくらいなら、キスシーン披露の方がまだいくらかマシだったとさえマニーは思う。 恥ずかしいだの腹が立つだの、その程度の次元では済まない。自身がどこにどうしてどうなっていてどうするべきなのか、何一つ把握もしていられなくなるような情動の奔流が、マニーの理性を無残に押し流そうとしていた。 「あ、あの?マニー?」 かわいそうなくらい真っ赤になって襟元をかき握ったマニーは、すっかり前後不覚に陥っているようだ。怒る力もないというのは相当である。 小刻みに震えだしたのが気の毒になり、シドは励ましてやろうとしたのだったが、しかし。 「う、う、ぅ、……、…うわあああぁぁぁ!!」 「え!マニー!?」 情け深い手を振り払ったマニーは部屋を、さらには家を、脱兎のごとく飛び出していった。 「待ってマニーっ!どこ行くんだよ!?まずいってディエゴ、壊れちゃってるよあれ!早く追いかけなきゃ!」 慌てるシドを意に介さず、ディエゴは複雑な面持ちで煙草のケースを取り出す。 「なんつうか…。処理がおっつかなくなると逃避するのは、あいつの悪いクセだな」 「あーなるほどね、処理落ちしちゃったんだマニーってば!うける〜。じゃなくて。ちょっとやりすぎじゃないの?そりゃ、すっげぇとぼけたこと言ってたけどさ。プッ、どう見てもディエゴってば妬いてんのに……と。睨まないでよ」 「最初からはっきりしとけばよかったんだよ。下手に隠そうとするからつけこまれんだ」 「んん。こうくるとはなぁ、一本取られたぜ」 確固たる証に、バックも唸らざるを得ないようだ。 「で?で?どうやってあそこまで持ちこんだ?詳しく聞かせろよ」 「詳しく聞いてどうするつもりだ。…今すぐじゃどうせ話にならないからな、一服してからゆっくり追うさ。おまえらは手、出すなよ」 きびしく命じて、ディエゴは自室へ移っていった。 「なんだ?威嚇されたか俺たち?っははは、さっきのマニーの顔!おもしれえよなー青いんだよなーあいつら」 マニーもディエゴも年のわりに老成している、という意見に異を唱える者は少ないだろう。そんな二人をつかまえて「青い」などと。ごろ寝しながらのたまう人間は、この奇天烈な男くらいのものだ。 どこからどこまで冗談のつもりか確かめておきたい気もしたがシドはやめておいた。それこそ更なる火種になりかねない。 「でもよシド。おまえは混ぜてもらえんじゃねえの?特にマニーはよ、おまえを邪険にできないみたいだからなぁ」 「はい?オイラ?混ぜ…。な、ないよそれ。ディエゴもいるんだし」 「そうか?じゃ、今日は俺のおかげでいいもん見れただろ」 「よくねーよ!視覚の暴力だったよ!……バックさぁ。懲りてないんだね…」 ああいうものを見せつけられるのは、同じ屋根の下に暮らしている身としては死活問題だ。 今朝やたら眠そうにしていた彼らの、昨夜の様子などにまで思いを馳せてしまったりして。いろいろ想像して、悶々としてしまいそうだし。いっそなるたけ早めに記憶から消去してしまいたいシドだった。 |