日の入りが早くなったなあ。駅前のドラッグストアに向かう途中、やってくる人影に気づくのが遅れたのは、そんなことをのんきに考えていたからだ。情けない話、すっかり上の空だった。

「おう!マニー!」

きっぷの良さを具現したような笑顔で片手を上げた顔見知り。マニーは未だ使用したことのない呼称だが、皆からはバックと呼び習わされている。
後ずさって回れ右したい欲求が湧いた。しかしそれも逃げるみたいで悔しい。結局は前からやって来る相手にマニーも近づく形になる。かくなる上は無視してすれ違ってやろうかと歩みを速めたが効果なく、バックは当然のように方向転換し当然のように傍らへ並んでくるのだった。
トレードマークの、右目を覆う眼帯。それだけで十二分に異彩を放っているというのに、ミリタリーブルゾンにジャングルブーツを合わせた本日のファッションコーディネートもなかなかに個性的である。浮世離れしているのは言行だけにしてもらいたい。

「戦地にでも行ってきたのか?あんた」
「戦地?違うって。タイミングいいな、ちょうどそっちに邪魔するとこだ」
「はは。本当に最高のタイミングだ。シドもディエゴもまだ帰ってない。うちにいた私は、これから出かける」
「なんだそうか。じゃあ、ここで会えてラッキーだったな!」

マニーは痛み出したこめかみに触れた。

「で、どこ行くんだ?」

季節は冬にさしかかっているにも関わらず、久しぶりに見るバックはずいぶん日に灼けていた。いくら元が浅黒いのだといっても普通に屋外にいた程度じゃこうはならないだろう。
しばらく顔を出さないかと思うとふらり現れる、いったい今度はどこで何をしてきたのだか。相変わらずつかみどころのない人間だ。

「あんたには関係ない。もう話しかけてくるな。私の半径三メートル以内に寄るな。知り合いだと勘違いされるだろ」
「俺たちゃ知り合いだろうがよ。じゃないんなら、マブダチってやつ?」
「はあ?誰と誰が?」
「おまえさんと、俺が」
「相変わらず私をいらつかせるのが上手いなぁ。あんた」
「そうか?いやー、褒めるなよ」

やに下がったバック。マニーは隣から視線を外し、進行方向へ神経を集中させた。頭痛をわずかにでも軽減すべく深呼吸するが、コンパスの差をものともしないで悠々と歩き続ける隣人の存在に、いらだちは蓄積され続けていく。

「なに怖い顔してんだ」

つかみどころのない男ではあるが、その生業すらよく分からないというのは特に大問題だと思う。
元軍人やら現冒険家やらの自己申告はいずれも聞き流した。真に受けるほうがおかしい。

「うるさい黙れついて来るな銃刀法違反でパクられろ」

そういった経歴の不透明さに加え、肌身離さずシースナイフを携帯しているというのも、バックという人間の得体の知れなさに拍車をかけていた。
マニーに言わせれば不審者の域だ。犯罪者予備軍として警戒するしかない。

「はははっ、パクられんのはごめんだなぁ」

心が広いとか褒められたものではなく。バックは本当に、嫌味を嫌味と解さないのだ。だからどう言われようと怒りもせずににやついている。この点でこいつはシドよりひどい。
どこに与するでもなくひとりっきりで、飄々と生きているようなのも気に食わない。マニーの手には余る自由。自由に付随する孤独。それをこの男は飼い馴らし、あまつさえ楽しんでいるのだった。
まったく好きになれないのも道理だ。生まれ持った資質からして相反しているようだ、こいつとは。

「マニー!」

――おびただしい焦慮に駆られていたせいで、かんじんな思慮がすっぽり留守になっていた。信号なんてものに払う注意は砂粒ほども無かった。
ジャケットの襟首がひっつかまれ、容赦ない強さでひっぱられる。ひょろひょろした体のどこから生じるのか、驚くほどの力だった。
鼻先を小型トラックが走り過ぎる。
歩道に背中から倒れこんだマニーの耳に去り際のクラクションがやけに遠く、間延びして聞こえた。

「おまえ。けっこう抜けてんよなぁ」

頭上の信号が青になり、正気に返る。
ぬけてる?自慢じゃないがこれまで、他人からそんな評価を受けたことなどない。抗議したいが口が回らない。さすがに肝が冷えていた。

「おーい、腰まで抜けたか?立たせてやろうか」

からりと笑って腰を屈めるバックに、再びいらだちが一気に沸きたつ。

「一人で立てる!」
「そうか。なら、早く立ったほうがいいぞ」

大のおとなが通路の真ん中に倒れこんでいるのだ。言われなくとも行き来の邪魔になっていることや、こちらを気にする目撃者の視線には気づいている。混乱をなだめながら急ぎ立ち上がろうとしたところ、支えにした足首に痛みが走り、ひざをつく。

「なんだ?大丈夫か」

支えをもう片方の足に代え、暗澹とした気持ちで起き上がった。ひじや腰といった地面に打ちつけた部位も痛んだ。しかしどこより違和があるのは右の足首。体重をかけていられない。

「あし…くじいた?荒っぽくやっちまったからなぁ。悪かったな」

バックはすまなそうに頭をかく。皮肉はさっぱり通じないのにこういうことはあっさり看破する隻眼が、いつにもまして憎たらしい。

「でもま、トラックに撥ねられるよりゃあずっとよかっただろ」

言い訳には聞こえない。むしろ正しい言い分だ。だからこそこの男にまたも助けられてしまったという事実が、マニーの自尊心をずたずたにする。

「出かけねぇといけないのか、これから」
「……いや。野暮用だった。帰る」

捻挫した足で歩き回ることはない。切れているシャンプーや洗剤のストックを買いに行こう、帰りにコーヒーでも飲んでこよう、時間が合えばシドやディエゴと一緒に帰ろう。そんな思いつきで、つまりは退屈しのぎに出てきただけであったのだ。気まぐれを今は後悔しきりだったが。

「そうしとけ。ちゃんと治さないとクセになるぞ」
「ご忠告痛み入るよ。あんたも帰れ」
「水くさいな、俺がついてってやるよ。誰もいないんだろ家に?肩、貸すか?」
「いらん!ほっとけ!」
「応急処置も得意だからな。俺はこの目玉だって自力で手当てした」

自慢げに指された右の瞳。マニーはつい凝視して凄絶な現場を想像しそうになってしまった。ビジョンを払いのけ、おぼつかない足取りで身をひるがえす。

「ゆっくり歩けゆっくり。無理するなよー?骨のあるやつは好きだがな」
「あんたに好かれても嬉しくない……やっぱり相当おかしいぞ、おまえ」
「んん?まぁな。知らなかったのか」

にいとバックは歯をむきだす。くだらない。あってたまるか。己を狂人と自覚し、そう公言する狂人など。ともかく足首の冷却より先に頭痛薬と胃腸薬を飲もうとマニーは固く心に決める。