きびしい残暑に辟易しながら冷蔵庫を開く。箱で買ったアイスバーは早くも最後の一本だった。ぱりぱりとコーティングチョコの食感を惜しんでるところ、にくらしいほど涼しい顔で家主は居間に降りてきた。 「そのアイス何本目だよ?シド」 「六本かな」 「食べすぎだろ。腹こわすなよ」 そう言われてもオレにしてみればやむを得ない。暑いんだもん。 電気料金に不安を覚え、月も終わりにさしかかってからエアコンの使用を控えるようにしているのだ。特に一階リビングに設置されたそれは部屋が広いぶん消費電力も多い。付け焼刃でも、やらないよりはマシでしょう。 「でも暑い。もー無理。マニーの部屋でクーラーつけてる?つけてんならオレも一緒にいる」 「つけてないよ。我慢できないほどの暑さじゃないだろう」 「えぇ!うっそだ!あっちーよ!」 「心頭滅却すれば、って判るか?お前はダラけてるからそうなんだ」 マニーという男はオレとディエゴには不思議なくらいの精神主義者。ついでにその精神論はたまーにとっても乱暴というか、体育会系だ。昔はスポーツ続けてたらしいのでそういう経験のせいだろうか。寒がりなぶん暑いのには強いのかもしれないが、自分を標準だとは考えないでもらいたい。 「それよりなぁ、この服お前の?」 頭の中でぼやいてる間に、マニーは椅子にかかった上着を指さす。 「違うよディエゴの。さっきシャワー浴びに行ったから、着替えじゃないかな」 「ああ、今日は早く出て行くらしいな。……そうか」 置き去りにされているのは柄物の半袖。いわゆる、アロハシャツってやつ。 「こういうのが好きだったのかあいつ?着てるのは見たことないが」 シャツを広げる困ったようなしかめっ面は、これ着たらガラが悪く見えそうだーとか考えてるからに違いない。 たしかにマニーにはアロハシャツよかポロシャツとかのが良いんだろうな。似合うんなら誰が何を着たって構わないと思うけどオレは。 「好きだったらしいよ。前は何枚も持ってたんだってさ」 昨日のことだ。ディエゴが珍しくマニーのノートパソコンを触っていた。見てたのはビンテージのアロハシャツ。近ごろ出回ってるのは復刻版――レプリカが多いけど、やっぱり本物がいいそうだ。もっとも、集めたシャツはほとんどこの家には持ってきていなくて、持ってきた数枚も着ないでしまい込んだままだった。高価なコレクタブルアイテムだから着られないんじゃなく単に忘れていたんだと。そういう無頓着さ、物に対する執着心の薄さはいかにもディエゴっぽい。 「へえ。まぁ、色味が極彩色じゃないだけよかったか」 「それはそうかも」 赤地にフラダンサー柄やら緑地にパイナップル柄やら、まさにトロピカル!アロハオエ!なデザインは趣味じゃないそうで。ネットショップでディエゴが気に入った様子だったのは寒色でまとまった図柄や単色で染め抜きされたプリントの、わりかし地味めなやつ。手元のシャツも黒に近い紺青がベースで、総柄ながらだいぶ落ち着いた感じではある。とはいえアロハシャツはアロハシャツだ。 そうこうしてるうちに風呂場のほうから足音が聞こえてきた。そんな大したことしてもないのに、マニーはおたおたと上着を元の位置へ戻す。 「シド、何本目だよそのアイス」 ディエゴは髪を拭き拭き、リビングに入るなりマニーと同じ質問を投げてきた。 「六本めー」 オレもさっきと同じ答えを投げ返して、すっかりきれいになった棒切れを捨てる。マニーはやや落ち着かない挙動でキッチンに回り、グラスに水を注ぎだす。のどは渇いてないんだろうに。 「そんな食ってて飽きないのか」 微妙な空気は幸い感づかれるほどじゃなかったみたいだ。椅子から取り上げたシャツに素肌のまんま、さらっと袖を通すディエゴ。うん、やっぱなかなか似合ってる。ていうかこう。なんか。うん。 目をやると、カウンターの向こうでマニーも何か言いたそうにしている。ぜったいオレとおんなじ感想だあの顔は。どうしてオレにするみたいに、ずけずけ言っちゃわないんだろ。 「ディエゴー、そのシャツ似合うじゃん!それにグラサンかけてくんだ?」 「そうだな。まだ日が強いし」 色素が薄いディエゴの瞳に、この季節この時間の直射日光はきつい。趣味と実益をかねてるのか、サングラスも高そうなやつをいくつか揃えているみたいだ。細かい所持数なんかまではわかんないけど。 「そっか。あはは、アロハにグラサンかー。そんな格好してるとさぁ」 「ん?」 「なんかの密売人か、運び屋と間違われそうだよね!職質受けるなよっ!?」 「…………」 ――あらら? 同じような感想を持ってただろうに、マニーが青くなっている。あんな顔なかなか珍しい。 「…この、バカ……あのな、世の中には言っていいことと悪いことが――」 首をひねった。ディエゴはちょっとだけ目を丸くしていて、次には不愉快そうに両目を細める。 うわマズい。殴られる?蹴られる? 「アホ。下っ端がやるんだよ、ブツの仕入れなんか」 ――…は? いま、なんだかアンダーグラウンドなことを聞いちゃったような。これはディエゴなりのユーモアなの?そう、マフィア的アングラジョーク?それとも。 こういうときこそ助けてほしくてマニーを見た。つっこみもできずに固まっている。判定では今のも「言っていいこと」ってシロモノではなかったらしい。 ディエゴは。オレと違って、他人の心情を読むことが得意。だからこの気まずく冷えた空気の流れもすぐに感じ取ったんだろう。失言を察して、場を取り直そうとしてくれたんだろう。 「……なーんちゃって」 とってつけたみたいに、そう言った。 (なーんちゃって!!?) マニーとオレのシンクロ率は初の百パーセントを記録したのだった。 ディエゴが家を出た後で、しこたま叱られたんだけど。 |