シド曰く。駄目元の頼みだったらしい。
あろうことか居候の身で、家主たちに家を一晩空けてほしいというのだ。
その理由というのも最近親しくなった女の子に「部屋を見てみたい」「手料理をご馳走してほしい」「遊びに行きたい」とおねだりされたからとか何とか、そんなもの。そりゃあ断られて然るべきである。
だがしかし、意外にもと言おうか案の定と言おうか、マニーはシドの懇願を頭ごなしに突っぱねたりはしなかった。

「じゃあ私たちはどこで一夜を過ごせばいいんだ」

そう皮肉混じりに、けれど真実単純な疑問として――言葉にしたのだ。

「……俺の部屋に来るか?」

思い返しても十分自然で現実味のある提案なのだが、口にする瞬間は妙な緊張を伴った。不毛なやりとりを続けていた両人は驚いた風に顔を見合わせ、そしてマニーはため息混じりに存外あっさり、

「…そうさせてもらう」

と受け合うのだった。

*  *  *  *

翌週末。一足早く手の込んだディナーの相伴に預かったのち、ディエゴとマニーは連れ立って我が家を後にした。気色満面で二人を見送ったシドの料理は完璧で、その本気具合にマニーなどは不安すら覚えたものだが、今さら心配したって仕方ない。 戸締りはしっかり、火の元には気をつけろ、浮ついているシドに言い残せるのはせいぜいそれくらいだった。

ディエゴの部屋まではいささか交通の便が悪く、しかしだからこそ彼はそこを根城にしていたそうだ。
たしかに彼の境遇上人気のある住民の多いアパートなどでは、たまに羽を休めるための止まり木には不向きであったろう。
――もっともだが、淋しいことだ。
暖房が効きすぎるほど効いたバスの車内。ちくりと心に針を感じながら、マニーはディエゴを盗み見る。
流れる車窓を背景に、見慣れているはずの端整な横顔や吊り革を掴む立ち姿がときどき見知らぬ他人のものみたいに映って、ふと気を抜けば見入ってしまいそうになる。どうやら少なからず緊張しているらしい自分をきまり悪く思い、マニーはかたく両目を閉じた。

せっかくだから酒でも買っていこうと決め、適当な店に寄り、ようやく二人が目的地に着いたときには午後も八時を回っていた。ぱっと見で住人がいる部屋よりいない部屋の方が多いことが判る、二階建てのこじんまりしたアパート。決して汚いとか古めかしいとかではないのだが、どこか心細く排他的な雰囲気すらを漂わせて、その建物は存在していた。
ディエゴの後ろに続いて入った部屋は二階のさらに一番端。隣も、たしかこの下も空き部屋だ。

「お、お邪魔します」
「何だよ改まって」

ぱちり、軽い音と共に明かりが灯る。

「…………殺風景、だな」

薄闇になじんだ瞳を瞬かせつつ室内を眺めたマニーの第一声。ディエゴは感慨もなさげに髪を掻く。

「そうか?」

家財らしい家財は単身用の小型テレビに冷蔵庫にローテーブル、簡単なつくりの――多分折りたたんでおけるタイプの――シングルベッド。備え付けらしいエアコンとクローゼットもあるが、実質これだけ。

「テレビ台くらい買ったらどうだ?」

自宅でディエゴに宛がったのと大差ない部屋模様。遠慮していたわけじゃなくてこれが素だったのか。脱いだコートはどこにかけようか。クローゼットにちゃんとハンガーはあるのだろうか。マニーは床に直置きのテレビを見下ろし、いくらか途方に暮れつつアドバイスしてみる。

「別に、ほとんど見ねえから必要ない」

買ってきた酒類を冷蔵庫に移しているディエゴ。きっとあの中も空っぽだったのだろう――いや、それはコンセントを抜いていたのだから当然か。
落ち着かなそうにうろうろしているマニーの様子が新鮮で、ディエゴは密かに苦笑した。

「妙な感じだな。…座ってろよ」

この部屋にはほとんど他人を招き入れたことがない。言われる通り殺風景な室内で、敷きものもないためフローリングに直接腰を落ち着けたマニーは異質な存在のようだが、ともすればやけにしっくりとこの場に溶け込んでいるようにも感じる。
ディエゴは空調のスイッチを入れ、二人分の上着をクローゼットにしまう際鼻をかすめた外界のにおいに、今の状況をひときわ強く意識した。
ワンルームに二人きりなんてことは初めてで、元来お喋りな方ではない自分たちがわずかに気詰まりのようなものを感じているのは否めない。けれどその緊張を心地良い高揚感が中和してくれている。
いつになく、酒が飲みたい気分だった。

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